チェンダオの山の北側、ウィエンヘーン(Wiang Haeng)のキャンプ場 Akipu へ、友人3人と1泊2日の小さな旅に出た。ここは数年ずっと行きたいと思い続けていた場所なのだけど、急勾配のカーブが続く山道の運転が怖くて、自分で行くのは無理だなあ…と感じていて、バスで行くことも考え始めていたところ。でも今回、3人が一緒に来てくれることになり、多分行ける、かな、と心が少しだけ軽くなった。
乾季なのに、この2日間だけ雨。星の名所なのに、空にはひとつも光がない。あんなに星を見たくて来た場所だったのに苦笑いするしかなかったわよ笑
最初の目的は崩れてしまったけれど、この旅で強く印象に残ったのは「火」だった。
雨の中、キャンプ場のリス族の男性案内人マット君がトラックに私たちを乗せ、黒豚がお葬式のために供される最中で大賑わいのリス族の村を抜け、ジェットコースターのような道を通って(絶叫!)山の景観のいい場所へ連れていってくれた。
標高1500メートルを少し超えたその場所は、もちろん霧と雲にすっぽり覆われていた。山小屋の中の七輪のような炉の前に座り、ススで真っ黒になったやかんで、カカオのお茶を煮出してくれた。
火の匂い
雨の湿気
カカオの甘苦い香り。
なんだろう?
それらが重なり合って、胸の奥のどこか古い記憶が、ゆっくり呼び起こされるようだった。
夕食のあ、壁のない古い東屋の囲炉裏端に大きな火が焚かれた。
その火は、まるで、山の精霊がそこに棲んでいるかのような静かな存在感を放っていた。
火を囲むと、友達たちは楽しそうに踊り、笑い、炎に照らされては消え、照らされては消えていく。煙に涙がにじんで、光が揺らぎながら滲んで見えた。
その姿がどこか懐かしい祝祭の響きを帯びていて、昔この土地で受け継がれてきた祈りの気配を、火が思い出させてくれたような気がした。
揺らぐ炎の奥には、説明できない神秘がある。
光と影が交互に訪れるあの「間(ま)」に触れると、時間の層がゆっくりとずれて、遠い過去や誰かの記憶と、今の自分が重なる瞬間が生まれる。
火は語らないけど、すべてを伝えてくる気がする。心がしずまり、同時にどこか目覚めるような不思議な感覚だ。
星はひとつも見えなかった
でも、あの夜の火は、星と同じくらい深く、私たちの魂の奥に眠る懐かしい光を思い出させてくれた気がする。
旅は、期待したものが消えた場所に、思いがけないギフトをさりげなく置いていくものだよね。









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