今夜はなんだか切なくて、胸がいっぱいだ。
時々、いい歳して、こんなふうに無価値感が込み上げてくることがある。
そしてなんで私なんて生きてるんだろうって思う。
これまで前向きに精神世界を探求し、自分の心と向き合ってきたつもりだった。
だからこそ、
「これだけ学んできたのに、なぜまだこんな感情に囚われてしまうんだろう」
「今までの時間は何だったんだろう」と、余計に自分を責めてしまう。
裏切られたような、虚しいような、やりきれない気持ちになる。
精神世界を学んで生きるということは、ネガティブな感情を「二度と感じなくなる人間になる」ことではなく、「それらが湧いたときに、より深く自分を抱きしめ、統合していくプロセス」そのものなのかもしれない。
人間には、螺旋階段を上るようなバイオリズムがある。
一見すると、同じ場所(無価値感)に戻ってきたように思えても、以前の自分とは違う、より高い視点からその感情を見つめている。
だから同じ感情が戻ってきたように見えて、実際には同じ場所じゃない。
今回は、さらに深いレベルの「根源的な癒やし」のために、その感情が表面に浮かんできてくれたのかもしれない。
さらに探るなら、もっと原初的な「存在そのものへの問い」が眠っている。
どれだけ高名な精神的指導者であっても、肉体を持つ人間である以上、揺らぎやエゴの抵抗はあるはず。
大切なのは、「無価値感を感じている自分」をさらに責めるのではなく、「ああ、まだこんなに深く傷ついている私がいたんだね。よくここまで頑張って生きてきたね」と、その痛みにただ寄り添うことなのかもしれない。
思ったんだけど・・・
天の川の黒い裂け目、あの暗黒部分。実はあそこは星がない空間ではなくて、濃い星間塵や分子雲が、向こう側にある膨大な数の星の光を遮っている。
そしてあそこでは、今この瞬間にも新しい恒星が生まれている。
つまり宇宙では、いちばん暗い場所が、いちばん新しい光を準備しているというわけだ。
星が生まれる前には、必ずガスや塵の濃い、暗い領域がある。
外から見ると「何もない暗闇」にしか見えない。
でも実際には、その暗さの中で次の光が準備されている。
人間も少し似ているのかもしれない。
今夜がそういう夜なら、何かを解決しなくて大丈夫。
分析しなくて大丈夫。
ただ好きな音楽を流して、お布団に入って、「今日はここまで生きて終了」で十分。
それだけで十分な夜ってある。
今まで自分が積み重ねてきた気づきや祈り、星空や音楽みたいな美しいものに心から喜んできた心のセンサーは、何ひとつ消えていないはず。
今はただ、その感受性が、外側ではなく「疲れ切った自分」を癒やすために使われるのを待っているときなのだと思う。
頭での理解を一度休ませて、ただその傷ついた心を、優しく包み込んであげようと思う。
今日は日本から持ってきたミードを飲みながら、いい音楽でもかけて、もう寝てしまうに限る。
こういうときは実家の猫のみーちゃんをモフりたい(笑)



