土曜日の午後、チェンマイの喧騒を少し離れた田舎のカフェにいた。木漏れ日が、緑の隙間で揺れている。地元の好きなバンドのボーカルが、たった一人、アコースティックギターを抱えて弾き語りをしていた。夜のステージとは全く別の顔だ。飾り気はないのに、内側に確かな才能を秘めている。その若い横顔を見つめているうちに、ふと、ひとりの音楽家の姿が重なった。
原田真二。1970年代後半、きらびやかな日本のポップシーンのまんなかで、彗星のようにスポットライトを浴びた天才だ。アイドルとして女の子達の心を奪っていた裏側で、彼はまだ18歳にして、誰にも真似のできない孤高の音楽世界をつくり上げていた。その象徴とも言えるのが、ファーストアルバムに収められた一曲「黙示録(The Revelation)」だ。私はよく、この曲を思い出す。
チェンマイの湿った空気のなかで爪弾かれるギターの音色は、そのまま「黙示録」へと私を誘っていく。あの、静かで孤独なハスキーな声とアルペジオへと。
「淡青の湖に つばめが弧を描く 絵のような風が吹く……」
幻想的な詩の世界。絵画のように美しい風景のなかで、草の葉に指を切る。そのささやかな痛みが一筋の影となって、「いま自分は生きている」という切実な実感を呼び起こす。生と、その境界線。チェンマイの昼下がりに響く彼の声もまた、同じ震えを帯びている気がしてならない。
水面に輪を描き、白鳥を装って消えていく、名も知らぬ少女。彼女はきっと、現実の誰かではない。十代の原田真二の前に一瞬だけ現れた美のミューズか、あるいは、誰もが人生のどこかで置き去りにしてしまう「純粋さ」そのものだったのではないか。捕まえたと思った瞬間、指の隙間からこぼれ落ちていく光のように。
続いて歌われるのは、「神々の名を残して羽広げる星図」という、マクロの宇宙だ。メロディはどこまでも静かに、聴く者を音の深みへと引き込んでいく。その静寂のなかで、物語はそっと反転する。「君は誰なの?」という他者への問いが、いつのまにか「僕は誰だろう?」という、自分自身への揺らぎへと。
おもしろいのは、この宇宙を見上げるパートでさえ、メロディが底へ底へと下降し、どこにも着地しないことだ。本来ならサビで音は美しく解決するはず。ところが原田真二は、あえて音を宙吊りにしたまま、こちらの足元をすくっていく。着地しない下降音の繰り返し。それが、広大な宇宙の前にぽつんと取り残された人間の、吸い込まれそうな孤独を際立たせる。
夢と現実、自分と他者。そのすべての境界が、下降し続ける答えのない音のなかに溶けて、どこまでも曖昧に揺らめく。
そして、この曲の本当の凄みは、歌が——言葉が——その着地しない問いを抱えたまま、ふつりと途切れる瞬間に訪れる。未解決のまま残された耳に、まず届くのは、ほとんど聴こえないほど遠くから響くホルンの音だ。
静寂そのもののようなその響きのなかで、物語は終わったかに思える。ところが次の瞬間、オーケストラがふっと息を吹き返す。一度だけ、小さく。大音量ではない。けれど確かに胸を打つティンパニ。消えゆく幻影が最後に放った熱のようでもあり、境界線の向こう側から届く、最後のノックのようでもある。
その一瞬の高まりを経て、音は静かに、ゆっくりと遠ざかっていく。原田真二はここで、大音量のシンフォニーでドラマを締めくくる道を選ばなかった。静寂と、かすかな震えと、余白へ消えていくフェードアウト。耳を澄まさなければ聴き逃してしまうほどの、繊細な音の満ち引き。その引き算で曲を完結させるところに、彼の構成の凄みがある。
消えていく残響を追ううちに、私たちはすぐには現実へ戻れなくなる。音がやんだあとの空間に、いつまでも立ち尽くしてしまうのだ。
チェンマイの田舎のカフェ。アコギを爪弾く青年の姿が、18歳の天才・原田真二を、不意に呼び起こした。気づけば私は、時空も国境も越えて、「黙示録」が描く壮大な宇宙の境界線に佇んでいる。すべての音が消えたあとも、胸の奥では、あの遠いホルンの響きと、静かに溶けていった光と影の残像が、いつまでも揺らめいて消えない。
(トップの写真は、チェンマイ郊外のカフェで演奏するミュージシャンです)


