先日、天の川に走る黒い裂け目、暗黒星雲について考えていた。
一見すると何も存在しないように見えるあの暗い領域では、実は今この瞬間にも新しい恒星が生まれ続けている。
そして今、私はまた別の「暗闇」について思いを巡らせている。
天の川が最も明るく見えるその場所に、実は光はない。
そこにあるのは、Sagittarius A* (いて座Aスター)と呼ばれる超巨大ブラックホール。
光さえも脱出できない、完全な暗闇だ。
それなのに。
その見えない重力が、何千億という恒星たちの軌道を支え、銀河そのものの形を保たせている。
中心にある暗闇と、それを取り巻く無数の星々。
私たちはつい、それらを別々のものとして見てしまう。
けれど本当は、そのあいだに明確な境界線なんて存在しない。
見えない中心があるからこそ、星々はその軌道を描き、銀河はひとつの見事な秩序として存在し続けている。
私は時々思う。
人の心にも、同じ構造があるのではないだろうか。
人生のなかで経験する深い喪失。
愛するものを失うこと。
信じていた世界が崩れること。
そのとき私たちの心には、光の届かない領域が生まれる。
深い痛みは、ときに自分を世界から切り離してしまったように感じさせる。
こちら側と、向こう側。
過去の自分と、今の自分。
失う前の世界と、失ったあとの世界。
まるでそこに、決定的な境界線が引かれてしまったかのように。
けれど不思議なことに、私たちはその暗闇によって変えられていく。
傷を知った人だけが、触れられる痛みがある。
喪失を知ったあとでしか、見えない美しさがある。
宇宙は知っている。
最も深い暗闇があるからこそ、その周りを巡る星々はこれほどまでに美しく輝くことを。
最も深い暗闇が、ときに最も美しい秩序を生み出すことを。
そしてきっと、私たちが「終わった」と思うその場所にも、本当は境界線など存在しない。
失ったものは消えたのではない。
ただ、目に見える形を変えただけなのだ。
見えないものが、すべてを支えている。
宇宙もまた、人の心も。
そして私たちは、そのことに気づかないまま、生かされている。
ジャン・ミシェル・ブレの『rose』を聴いている。
切なくも静かに流れるピアノの旋律に耳を傾けながら、以前撮った天の川の写真を見つめる。
音楽が静かに余録を残して消えていく。
その静寂の中で、私はもう一度、画面の中の最も眩しい暗闇を見つめた。
(トップの写真はウェインヘーンで撮影したチェンダオの山と天の川の中心部分)


