存在しない色の存在理由

スピリチュアルな日常
光のスペクトラムとハートチャクラをめぐるエッセイ

虹の七色をどれほど細かく分解しても、そこに「ピンク」という単一の波長は存在しないという。

物理学の世界では、ピンク(マゼンタ)は光のスペクトラム上に存在しない色とされている。可視光線の最も長い波長である「赤」と、最も短い波長である「バイオレット」。本来なら一直線の両端に位置し、決して交わることのないはずの二つの波長が、同時に目に飛び込んでくる瞬間がある。そのとき人間の脳は、そこにあるはずの緑の不在を埋め合わせるようにして、存在しないはずの色をつくり出す。それがピンクなのだという。

この事実を知ったとき、ふと自分自身の内なる体験に思いを馳せた。

長年、霊的な探求やエネルギーとの対話を重ねてきた中で、私にとってハートチャクラはずっと「緑」だった。大地に芽吹く豊かな生命力、静けさと調和をたたえた、深みのある濃い緑。その認識を疑ったことは、一度もなかった。

けれど、仕事の通訳で、アシュタールとの関わりが深まるにつれ、いつからか、そのハートの領域に「ピンク」という色彩が鮮やかに重なるようになっていった。伝統的な緑の調和に加えて、柔らかく包み込むような、無条件の愛の波動としてのピンク。

「それは脳が作り出した幻想の色に過ぎないのではないか」——科学的な事実だけを切り取れば、そう首を傾げたくなるかもしれない。けれど不思議なことに、その物理的な仕組みを知れば知るほど、むしろ深く腑に落ちていく。

物質と精神、肉体と宇宙。本来ならかけ離れているはずの二つの極が出会い、一つに溶け合う。その触媒こそが、ハートのエネルギーなのだと思う。分断された世界を、意識の力で強引に繋ぎ合わせようとするとき、そこに立ち現れるのが「存在しないはずの色」なのだ。

「愛」や「慈悲」というものも、もしかすると同じなのかも。宇宙のどこかに物理的な物質として転がっているわけではない。私たちが心を開き、世界や誰かと深く繋がった、その瞬間にだけ、私たちが自らの内側から世界へと生み出す、ひとつの奇跡なのだ。

脳の知覚が生み出した色であるからこそ、それは人間という意識が存在することの美しい証であり、ハートという多次元な領域を映し出すにふさわしい色なのだと、今は静かにそう感じている。

余談だが、古代のサンスクリットの文献では、チャクラに色がついておらず、ごく近年西洋で伝え始たことらしい。このことについても後に書いてみたいと思っている。

ケーテル・ビョルンスタ / 『The Sea I』解説

1. 着地しない和声(果てしない浮遊感) 主音へ解決しない「転回形」や浮遊感のあるコードを多用。どこにも地に足がつかないコード展開が、満ち引きする波や宇宙空間をたゆたうような深い浮遊感を生み出している感覚がある。

2. 途中のノイズ(静寂と混沌の統合) 中盤から膨らむギターのフィードバックやチェロの激しいノイズ。単なる「綺麗な曲」にとどまらず、静寂(調和)とノイズ(混沌)という対立する二元性が交差し、やがて一つに昇華されていくドラマを感じさせる。

【今回のテーマとの響き合い】 物理的な波長を超えて「赤とバイオレット」が出会うことで脳内に「ピンク」が立ち現れるように、この曲も「静けさとノイズ」が溶け合うことで、ただの美しさを超えた「二元の統合と高次の愛」を響かせてくれる気がする。

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