娘を奪われた父が、誰も責めなかった話

痛みと光の間
タイ銃乱射事件、12歳の娘を亡くした父親が語ったこと

タイの学校で、14歳の少年が銃を乱射した。教職員が亡くなり、たくさんの生徒が傷つき、その中に12歳の女の子がいた。ガパオさん。
私がこの世界でもっとも愛おしく大切に思っている孫が、今日誕生日で12歳になった。そして同じ年のガパオさんは銃乱射事件の犠牲者となり亡くなった。その二つが同じ日に自分の中にある状態は、なんだかとてもしんどい。
事件から数日後、彼女の葬儀で、父親のポンサトーンさん(55)がこんなことを言ったそうだ。

今は誰かを恨んだり、怒りを抱いたりしているわけではありません。事件はもう起きてしまったことです。今一番大切なのは、残された子どもたちの心を支えること。そして、まだ現実を受け入れられていない妻を支えることです。

今回起きたことは、すべて水に流し、誰のことも責めません。犯人についても、彼がこれまで何を経験してきたのか、私には分かりません。だから責めたいとは思いません。

私がただ願っているのは、娘が幸せな旅立ちを迎えることです。誰が悪いのかを追及するのではなく、これから関係者が一緒になって解決策を考え、再発防止策を整えていくべきだと思います。

娘さんを亡くして、まだ数日だよ。それで加害者も学校も責めず、再発防止の話をして、残された家族の心配をしている。

正直、読んだときはしばらく言葉が出てこなかった。

どうしてこんな言葉が出てくるんだろう

まず思い浮かぶのは、タイという土地の下地なのだろうか。

上座部仏教の文化では、怒りや執着を手放すこと自体が徳とされる。葬儀では「許す」「水に流す」という言葉が交わされ、故人のために徳を積む(タンブン)という行為が、遺族の悲しみを受け止める器になっている。

それともうひとつ、独特の死生観があると思う。遺された人が恨みを抱えたままだと、その念が故人を引き止めて、旅立ちの邪魔をしてしまう。そういう感覚が前提にあるんじゃないかなと。

そう考えると、「すべて水に流し」と「娘が幸せな旅立ちを迎えること」が並んでいるのは、偶然じゃない。この二つはつながっているわけだ。

つまりあの赦しは、加害者への恩情である以前に、娘さんのために父親が用意した最後の贈り物だった。そう読むと、あの静けさがどこから来ているのか、少しだけ見えてくる気がする。

ただ、文化の話だけで片づけてしまうと、この人自身のすごさを取り逃がすとも思う。

彼は加害者の少年について、「彼がこれまで何を経験してきたのか、私には分かりません」と言っている。憎むには相手を知らなすぎる、という言い方だよね。感情に流されているわけでも、無理に聖人を演じているわけでもない。自分が何を知らないかをちゃんと分かったうえで、判断を保留している。

それから、「誰が悪いのかを追及するのではなく」と言いつつ「再発防止策を整えていくべき」と続けたところ。ここ、地味にすごい。赦すことと、責任をうやむやにすることを、混同していない。犯人探しに向かいがちなエネルギーを、仕組みを直すほうへ静かに向け直している。

いちばん感情が荒れているはずの時期に、この切り分けができる人って、そういないと思う。

でも、美談にはしたくない

とはいえ、この言葉を「悲しみの正しい形」みたいに扱うのは、ちょっと違うなとも思いはじめている。

理由は二つ。

ひとつは、怒っている遺族のこと。「許すこと」が遺族のあるべき姿として持ち上げられすぎると、声を上げて怒る人や、加害者を憎み続ける人が、なんだか未熟みたいに見られてしまう。でも怒りも憎しみも、大事な人を奪われた人間のごく健全な反応で、そこに上下なんてないはず。

もうひとつは、ポンサトーンさん自身のこと。「寛容で立派な父親」という称号は、贈られた瞬間から枷にもなるのでは?この先、遅れて怒りが湧いてきたとき、崩れて泣きたくなったとき、周りの期待が邪魔をして誰にも言えなくなる。そういうこと、実際によく起きるんだよね。

到達点じゃなくて、踏みとどまり

この言葉の尊さって、悲しみを乗り越えた人がたどり着いた境地だから、じゃないと思う。

足元が崩れかけている状態で、なんとか手繰り寄せた一筋の光だった。そこにこそ意味がある。

「怒りに飲まれたら、自分も家族も壊れてしまう」。そんな危機感から、妻と子どもたちを守るために必死で築いた防波堤だったのかもしれない。

その証拠に、と言うと大げさだけど、彼の言葉の順番を見てみて。まず子どもたち、次に妻。加害者の話が出てくるのは、そのあとです。守るものを守るために、彼は怒りを手放すほうを選んだという風に見える。

事件は、まだ終わっていない。悲しみは、これから何年もかけて形を変えながら続いていくものだから。

だからこそ、この言葉に胸を打たれつつ、そっと見守っていたい。この先、彼が泣き崩れる権利も、遅れてきた怒りに揺れる権利も、あの日の言葉と同じくらい、ちゃんと守られていてほしいと思う。

この記事はIsabelle Lewisの『Moonshell』を聴きながら書きました。どこか祈りのような透明感を持つこの音が、感情の渦の中で必死に踏みとどまろうとするお父様の静かな強さと、遺族の心の平穏にそっと寄り添ってくれるように感じる。静かに聞こえる曲だが、実際は繊細な弦と重い電子音が引き合ってできている音です。静けさが、押さえ込んだ結果として生まれることもある。そういう意味で、この話に合っていた気がします。

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