音楽の原風景

クラシック・現代
音楽の原体験|サン・サーンス「白鳥」と5歳の恋、そしてチェロの記憶

サン・サーンス:組曲『動物の謝肉祭』より「白鳥」

私の記憶に残っている、いちばん古い「感動した音楽」は、サン=サーンスの「白鳥」だ。

4歳か5歳のころ、幼稚園でバレエを習っていて、発表会で白鳥の「その他大勢」の一羽として、この音楽で踊った。
よりによって発表会前に、自宅の椅子から落ちて腕にヒビが入り、ギブス姿で参加することになったのだけれど、それでも休まず練習を楽しんでいた記憶がある。たぶん、この曲の力が大きい。
それに、メインの白鳥役のお姉さんが本当に美しくて、子ども心に「こうなりたい」が芽生えたのもある。

発表会が終わった途端、この曲との縁もぷつんと切れてしまって、ものすごく寂しくなった。舞台が終わった寂しさじゃなくて、音楽が遠ざかる寂しさだった。
それで母におねだりして、人生初のシングルレコードを買ってもらった。

家にあったレコードプレイヤーは、簡易的な小さなステレオだった。でも私には十分すぎた。スピーカーに耳をぴったりくっつけて、レコードがすり切れるほど聴いた。

頭に浮かぶのは、おとぎ話に出てくるような森の湖だ。滑らかに水面を動く白鳥、追いかける水の波紋。
揺らぐチェロの音色にうっとりしながら、「天国の音楽ってこういうのなんだな」と思って聴いていた。
どうやったらレコードの中に入って、この曲を直接体験できるだろう、と本気で考えていた。今の私とたいした違いはない(^^;

今でも、ちゃんと聴くと泣けてくる。
リンクしているYouTubeの、少し古い録音の手触りみたいなものまで泣かせる。音が鳴り始めるだけで、5歳の私に一気にタイムトラベルしそうだ。
こうしてYouTubeで見返していると、あれはもう恋だったんだなと思う(笑)。音に、白鳥に、そして「美しいもの」に。あんなに小さかったのに、もう世界を受け取る方法をもう知っていたようだよ。

そうそう。愛聴していた「白鳥」シングルのB面は「くまんばちは飛ぶ」だった。
あれが無性に気に入らなくて、「こんな美しい音楽の裏に、なんであんな忙しい曲が入ってんだ!」と腹を立て、B面に「きらい」って落書きしたんだわよww
(子どもの正直さ、容赦ない。)


チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番 ニ長調 Op.11 第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」

次に記憶に残っているのは、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」かもしれない。

これぞ名旋律!珠玉のクラシック!……というタイプの曲でありますが(^^;
たしか母がかけていたレコードの中の一曲で、ムード音楽的なものがあれこれ入っているLPに収録されていた。しかも、オリジナルそのままではなく、有名なあの部分を強調した、チェロが主役のアレンジ版だった。

まだ子どもなのに、この曲を聴くと「懐かしい」という気持ちが湧いてきた。胸の奥が、ふっと縮むような感じ。苦しいのに、気持ちいい。あの「痛気持ちいい」感覚を、私はここで初めて知ったのだと思う。

このノスタルジックな感覚、けっこう多くの人が味わうらしい。
いったい、私たちはどこでどんな記憶を共有しているんだろう。集合意識って言葉を借りたくなる。……もちろん、ただ単にチャイコフスキーがうますぎるだけ、という説も濃厚だ。


余談:チェロとワタクシと長男

こんな感じで、音楽の原体験が2曲ともチェロ曲なんすよね。

長男がチェロを始めたとき、わたしは本当に嬉しかった。
小さな子ども時代、西日が差す部屋でスピーカーに耳をつけながら、チェロの音色に心震わせ、「自分が演奏している姿」を勝手に想像して夢見ていた。
それが長男の手を通して現実になるなんて、人生って不思議だ。

長男は残念ながら、かなりイイ線いってたのに、カーメル高校のオーケストラから卒業した途端、どういうわけかチェロから離れてしまった。いつのまにか楽器も処分してしまい、小学校から取り組んでいたトランペットに集中するようになった。当時近所で、有名なモントレー・ジャズ・フェスティバルが毎年開催されており、地元の音楽活動促進的な働きかけで、長男の高校からも演奏のチャンスがあったため、その影響が強かったのかもしれない。確かにあのフェスティバルは世界からジャズの大物がわんさか集まる大イベント。以来彼はどんどんジャズに傾倒していき、今ではすっかりジャズの人だ。
チェロからの離脱は当時は仕方ないと思っていたけれど、今振り返ると残念でならない。

でも今でも音楽が大好きな子なので、きっとまたあの美しさを思い出して弾き始めるに違いない。
……という、母の勝手な確信で締めておく。

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