心の旅

暮らしの風景

チェンマイの煙霧と日本の食卓の境界線

東京の澄んだ青空の下で考えた。チェンマイを灰色の霧で覆うあの煙は、本当に「あちら側」だけの問題なのだろうか。私たちが手にする安価な鶏肉と、遠い空を焦がす炎。その見えない境界線を辿る。
成熟のレッスン

小猿のパンチくん:しなやかなレジリエンスと自立

市川市動植物園の小猿パンチくん。大猿に枝を捨てられても、どつかれても、何度でも「座り直す」彼の姿には、現代を生きる私たちが見習いたいしなやかな強さが宿っていました。自立へと歩み出す逞しい背中の記録。
痛みと光の間

ラーフーの抱擁と倍音の海〜 月食のマカブチャに寄せて

満月が影に呑まれる月食の夜、タイの聖日マカブチャを迎えた。僧侶たちの読経が「倍音」となり細胞を震わせ、黒き神ラーフーが月を抱く。光と影が交差する寺院で、三帰依の祈りとともに体験した魂の再誕の記録
旅と思索

リス族〜伝統が息づく色鮮やかな鼓動

タイ北部の山深く、ウィエンヘーンで遭遇したリス族の新年。色鮮やかな衣装を纏い、地面を叩く独特のステップ。単なる祭りを超えた、民族の魂が混ざり合う神聖な一夜の記録。
痛みと光の間

建築家と、孤独という基音

若い頃の孤独は旋律だった。62歳のいま、それは基音のように鳴り続けている。仏陀の「建築家」とジョージア合唱を手がかりに、成熟した孤独の響きを見つめる。
記憶の風景

「ついで」という名の愛の反射〜バレンタインディーに寄せて

記念日に無頓着だった彼が、タイの街角で買ってきた無造作な一輪のバラ。当時は「適当に買ってきたな」と不満だったその「ついで」の贈り物が、今では何よりも尊い愛の反射として蘇ります。バレンタインデーに寄せて綴る、記憶と愛の記録。
旅と思索

布一枚で繋がるリス族の父と子 『イクメン』という言葉が消える場所

リス族の村で目にする「赤ちゃんを背負う男たち」。言葉の壁という境界線を越えて、赤ちゃんのくしゃみの飛沫とともに飛び込んできたのは、どんな神秘的な占いよりも雄弁な、生の輝きと慈愛に満ちた笑い声だった。
スピリチュアルな日常

波動調整のために華麗にポテチ食べてます

「波動が高すぎて生きづらいから、あえてジャンクを食べる」という人々。その華麗なる言い訳を耳にしたとき、私の脳裏をよぎったのは、かつて「体の要請」を盾にステーキを完食した亡き義母の姿だった。聖なる言葉でコーティングされた、愛すべき「食欲」についての思索。
痛みと光の間

祈りが踊りに変わる時

言葉が喉の奥で「震え」に変わる時、光が私を包み込んだ。空と地の狭間で、愛の意味を求めて踊るささやかな儀式。リサ・ジェラルドの歌声と共に綴る、祈りと身体の記録。
旅と思索

独り内観の時代に、境界線で自分の安産尻を笑う

「独り内観の時代」に入ったと感じている。それは物理的な孤立ではなく、誰かと手をつなぎ響き合いながらも、自分の感覚のハンドルだけは誰にも渡さないということ。チェンダオの喧騒を避け、辿り着いた国境の街で出会った「不揃いな質感」から、真の静寂を紐解く。