奇跡の法則
奇跡の法則は
創造の本質が光であることに気付いた人であれば
誰でも操作可能なのである。
奇跡という言葉は、昔は遠い世界のもののように思っていた。選ばれた誰か、特別な修行を積んだ人だけが触れられる領域。けれど人生は、容赦なく揺らし、奪い、失わせながらも、それと同じ手で思いがけない恵みを差し出してくる。
深い喪失を経験したあと、「世界は暗くて、冷たくて、もう動かないものだ」と感じた時期があった。それでも不思議なタイミングで出会いがあり、人の優しさが差し込み、宇宙の深い静けさの中でふと心が包まれる瞬間があった。
あれは起こった奇跡ではなく、思い出した光だったのだと思う。
世界は固い現実ではなく、光と意識と愛の交わりでできている・・・そう感じられたとき、私はただ生き延びるのではなく、「もう一度生きてみよう」と思えた。
奇跡は操作するものではなく、参加するもの。
この世界を信頼する勇気を取り戻した瞬間、奇跡は私の景色に戻ってきた。
呼吸と生命エネルギー
吸う息を吐く息に与え、吐く息を吸う息に与えることで、
ヨギはこの二つの呼吸を中和する。
そのようにして心臓からプラーナを解放して
生命エネルギーを自らのコントロール下に置くのだ。
(バガヴァッドギータの中でクリシュナが言及していたこと: パラマハンサ・ヨガナンダ: 「あるヨギの自叙伝」より)
人生が大きく揺れたとき、私はよく自然の中に出かけるようになった。山の静けさや夜空の広がりの中で、私はただ呼吸していた。何か大層な瞑想ではなく、「吸って、吐いて」を確かめるだけ。
すると、波立っていた心の奥で、少しずつ水面が静まっていくのを感じた。
呼吸は、私が「まだ生きている」という確かな証。
吸う息は世界を受け入れること、吐く息は世界に委ねること。
その両方が争わず循環しはじめたとき、「生きなくては」から、「生きていていい」へと、私の中の方向が変わった。
ヨガナンダのいう「コントロール」とは、私の意志で無理に握り締めることではないのだと思う。
呼吸に帰ることで、生命のリズムと和解し、私自身の命に同意していくこと。
それが、私の体験としての“生命エネルギーを生きる”ということになっている。
祈り
祈りが叶えられたという経験がない人は一人もいない。
祈りは、ただの「お願い」だった時期もあった。
けれど、人生のある場面から、祈りは「助けて!」だけではなく、繋がりを確かめる行為になっていった。
祈っても状況がすぐには変わらないことは多い。
それでも、祈る前の私と、祈った後の私は同じではない。涙の奥に、少しだけ温かいものが灯る。胸の奥の痛みの下に、静かな強さが横たわっていることに気づく。
祈りは、外の世界を動かすだけのものではなく、「私は見捨てられていない」と内側を照らす光でもあるのだと思う。
叶えられた祈りもある。
形を変えて戻ってきた祈りもある。
そして、叶わなかったと思っていた祈りが、ずっとあとで人生の支えになっていたことも知った。
だから今は、祈りを口にするとき、私は少しだけ微笑む。
これは「願い」であり、「委ね」であり、「愛されていることの記憶」でもあるから。



