「自分が宇宙の中心だと考えるのはエゴにすぎず、 瞑想とは、自分自身が宇宙であることを認識する行為である。」
去年書いたこの言葉を読み返して、私はしばらく立ち止まってしまった。 これ、矛盾してない?
「宇宙の中心」と「宇宙そのもの」——似ているようで、まったく違う。 その違いをちゃんと言葉にしてみたくて、今日また書くことにした。
「自分が宇宙の中心だ」と思うのは、小さな『私』を中心に世界を見ている状態。 サンスクリット語では、それをアハンカーラ(小さな自我)と呼ぶ。
一方で、「自分が宇宙そのものだ」と感じるとき、 私たちはその小さな殻を超えて、すべてとつながる本当の自分に触れている。 それがアートマン、大いなるSelf。 私たち一人ひとりの中にある、宇宙と同じ光のことだ。
外の宇宙を見つめることは、同時に、内なる宇宙を見つめることでもある。 瞑想も、星を見上げることも、そのアートマンの光を思い出すための旅なのかもしれない。
去年の紫金山アトラス彗星が、その真理を遠い光で教えてくれたように—— あの光が背中を押してくれたように—— 今夜、私は再び空にカメラを向け、レモン彗星を探しに行く。 月明かりがあるけれど、あわよくばスワン彗星も。 天気はもちそうだけど、雲も晴れていますように。
もしその小さな光に出会えたなら、 それは外の宇宙と内なる宇宙がひとつに響き合う、小さな奇跡の瞬間かもしれない。
外の宇宙と内なる宇宙は、いつもひとつの呼吸をしているのだ。
音楽:Gabríel Ólafs(ガブリエル・オラフス)「Absent Minded」
フェルトを通したピアノの音は、まるで夜の静寂そのものが呼吸しているかのように柔らかい。 「心ここにあらず(Absent Minded)」というタイトルは、かつて空想に耽っていた彼に向けられた言葉だという。 けれど、今この音に身を委ねていると、それは「小さな自我(アハンカーラ)」が消え去り、意識が輪郭を失って宇宙へと溶け出していく、至福の不在のように聞こえてくる。
一音一音のあわいに生まれる、深い余白。 その空白の中にこそ、私たちが「宇宙そのもの」であるという、言葉にならない真理が響いている気がする。
今夜、レモン彗星を探す暗闇の中で、この旋律はきっと外の星々と内なる光を繋ぐ、透明な道標になってくれるはずだ。




