レンズが曇るほど、夜は冷えていた。
それでも空は、驚くほど豊かだった。
本当なら、昨夜はメーチェムの山の上でふたご座流星群を迎えるはずだった。
片道3時間かけてロケハンまで済ませ、チェンマイの天文学者さんとも連絡を取り合い、準備万端。
美しい田園の上に星々が昇り、流星群が降り注ぐ光景を思い描いていたのに、慢性の咳が悪化してしまい、その旅は直前でドタキャン。
寒い場所で一晩中の野外活動で悪化しても困るし、他の参加者さんに迷惑をかけてしまうと思ったから…。
でもね、宇宙がひらく扉は、ひとつじゃないんだよね。
行けない場所が生まれるとき、代わりに向こうからやって来る光がある─そんなことを、わたしは何度も経験してきた。
だから昨夜、わたしはサンカンペーン郊外の暗い空へ向かった。
流星が降るというより、宇宙が呼吸しているようだった
到着した瞬間、冬の星座の大物たちが大空いっぱいに広がっていて、もう想像以上の豊かさ。
わずか3時間(そのうち1時間は雲に覆われていたのに!)で、確認できただけでも20を超える流星。
そのうちいくつかは、空の奥からふっと生まれたような火球で、長くて揺らぎのある尾を引きながら夜を横切っていく姿に、ただただ圧倒された。
何度「わーーーー!」と歓声をあげたことか。笑
そして、その光を「しっかりこの目で捉えられた」という事実が、意外なほど胸の深い場所を温めてくれた。
写真には一枚も残らなかったけれど、むしろこの目に直接触れてくれた光のほうが、宇宙の素顔に触れたような気がしたから。(それにしても、露光中に何度も流星が落ちてるのに、なんで写ってないんだろ…。ほんと不思議。)
流星が落ちるたび、地球の大気と宇宙の粒子が触れあい、火花を上げる。
わたしたちの頭上で起きているのは、宇宙が深く呼吸するリズムそのもの。考えてみれば、こんな現象を自分の目で見ているって、とんでもなくすごいことだよね。
そしてカノープスが地平線からそっと姿をあらわした
その流星たちの祝福みたいな時間の中で、ひときわ静かに、しかし圧倒的な存在感をまとって、「南の旅人」カノープスが地平線に漂う雲の中からあらわれた。
それはまるで、賢者が宇宙の深部から古い記憶と叡智を抱えて、そっと雲にのって登場するような、高貴で深い光。
カノープスは、世界の多くの文化で導きや帰還の象徴とされてきた星。
ギリシャでは、船の舵を取り続けた英雄カノーポスの魂。
中国では、めったに姿を見せないがゆえの吉兆「老人星」。
日本では、福禄寿の源であり、祝福をもたらす星。
エジプトでは、魂の器「カノポス壺」と響き合い、死後の旅を守る存在とも考えられてきた。
航海、祈り、再生、魂のゆくえ・・・人類は、このたったひとつの星に宇宙の向こう側を読み取ろうとしてきた。
そんな星が昨夜、わたしのレンズに静かに姿を托してくれたんだよ。
ちょっと泣けるよね?!笑
気温が下がり、レンズヒーターを忘れていたせいで写真はどんどん滲み、体で温めたりしながら撮影していたけれど、いよいよ喘息のように咳き込みはじめ、夜空をあとにすることに。
そして帰り道。
カメラや三脚をしまって歩きはじめたとたん、視界の端で、またひとつ、またひとつ流星が落ちていった。
まるで宇宙が、「今日はここまで。でも、あなたは十分に受け取ったよ」と語りかけてくれているようだった。
行けなかったメーチェム。
撮れなかった流星の写真。
叶わなかった計画。
でも・・・
この目に深く刻まれた無数の光と、遥かな南の果てで静かに時を超えてきたカノープスの輝きは、確かに昨夜のわたしの世界を豊かにし、胸をいっぱいにしてくれた。
見事な流星と、古い神話をまとったカノープスの呼吸が、いまも余韻となって胸の奥でゆっくり共鳴している。
「行けなかった旅のかわりに届いた宇宙の贈りもの」
昨夜は、ほんとうにそんな夜だったなあ。



