サティシュ・クマールの森〜「恐れ」という幻想を歩く

サティシュ・クマール氏 in チェンマイ 痛みと光の間
サティシュ・クマールの森|「恐れ」という幻想を歩く9年間の記録

2016年12月3日。チェンマイ郊外の静かな場所にある「うさと」で、サティシュ・クマール氏の講演会があった。 Facebookが親切に過去の投稿を教えてくれるから、昔のことをあらためて振り返ることができる。こうして思いがけず新しいネタまで提供してくれるのだから、SNSも悪くない。

あれから9年。ずいぶん遠く感じるのに、ふいに思い出すと、あの日の空気の匂いまで鮮明に蘇ってくる。 人生のどこかに深く刻まれた日というのは、不思議とちょっとしたきっかけで、向こうから近づいてくるものらしい。

サティシュさんの話は、どれも温かく柔らかく、そして力強かった。でも、その日の私は、今の私と同じように、胸の奥に説明のつかない揺らぎを抱えていたと思う。

本当は質疑応答の時間に質問したかった。 けれど会場進行のタイ語についていけず、タイミングを逃したまま、会場の隅でぼんやり座っていた。

「このカオスのような世界で、どうしたら内なる平和を保っていられるのでしょうか?」——それが私の聞きたかったことだった。

ちょうど娘の精神状態がどんどん悪化していたタイミングだった。 そして世界全体に漂う、あの波立つような不安。瞑想しても、祈っても、心は簡単に揺れる。 そんな自分を責めるような、あきらめるような、少しだけ悔しいような気持ちもあった。

ところが、別の人がした「恐れへの対処」という質問へのサティシュさんの答えが、まるで私の心に向けられたもののように響いた。

恐れが出てきたときは、自分自身に尋ねてごらん。
「何を怖がっているの?」と。
恐怖は幻想であって現実ではないのです。
昼間、森の中の中を気分よく散歩します。
夜出かけてみれば真っ暗闇ですが、同じ森ですよね。
恐怖は観念に過ぎません。
ですから自分に聞いてみてください、何が恐いのか?と。
自分に何が起こるのだろうか?
人は宮殿でも死ぬのです。
心地よいベッドでも森の中でも。
しかしそれはどうでもいいことです。
死とは重視すべきことではないのですよ。
あなたがどうこうできることではないからです。
どのようなことも起こりうるし、あなたはそれを知る由もありません。
死の99%は問題なく起こります。
問題と思われるのは残りの1%だけ。
なにか上手くいかないこともあるでしょう。
その1%の死のために、もしかしたら上手くいかないかもしれない1%のために、生涯恐怖の中に生きていくというのでしょうか。
1%のうまくいかないかもしれないことのために恐れ、一生恐れと共に生きていくほうがいいのですか?
恐れは幻想に過ぎません。
自分に話しかけてみましょう。
わたしは信頼することができる、と。
信頼することができる、と言った瞬間、本当に信頼できるのです。
信頼する力がある、信頼する可能性がある・・・。
信頼できるということを確固たるものにします。
すると信頼できるものなのです。
そうしたら今度は、わたしは信頼されている、と言ってください。
信頼されている、信頼されている・・・
その言葉をあなたのマントラにしましょう。
自分が恐れに囚われているなと感じたら、マントラを繰り返し言ってみましょう。

正直に言えば、あれから9年たった今でも、本当に理解できたのかといえば……できていないと思う。

でも不思議と、その言葉は私のどこか深い場所に居座りつづけている。当時は「そうかもしれない」と思いながらも、心のどこかで「でも怖いものは怖いんだよ……」と、静かに反論していた。 でも今の私は、あの頃よりずっとたくさんの喪失と再生を経験し、さまざまな闇も光も見てきた。 だからこそわかることもある。

恐れは、現実そのものではない。 恐れは、まだ起きていない未来に貼りついた影のようなものだ。 そして、サティシュさんが言ったように、「信頼する」と口にした瞬間、その言葉はほんの小さな光のように胸に灯る。 世界を劇的に変えるわけではないけれど、心の奥のどこかで「大丈夫かもしれない」という小さな声が生まれはじめる。 人はその声に、何度も救われるのだと思う。

私は以前ほど「平和を保たなきゃ」と必死になることがなくなった。昨日、友人ともそんな話をしていたけれど、今はむしろ、揺れていいし、乱れてもいいし、迷ってもいいと思うようになった。 内なる平和とは、いつも凪いでいる湖のような静けさではなく、波が立っても、やがて自然と澄んでいく——その回復力のことだったのだと、最近ようやく理解しはじめている。

サティシュさんの声は、とても静かだった。 強制力もなければ、正しさを振りかざすこともない。 ただ、優しく言っていた。

「あなたは信頼できる存在です。そして、あなたは信頼されている存在です。」

9年前の私は、それをただの言葉として受け取っていた。今の私は、人生の経験というフィルターを通して、その意味をゆっくり噛みしめている。

恐れが出てきたら、ただ問いかければいい。 「ねえ、何がそんなに怖いの?」と。 その声は、恐れを追い払うためのものではなく、恐れを抱えている自分自身の手を取るための声。

あの日の講演会から9年。 世界は変わり続け、私も変わり続けている。 あの日受け取った言葉の種は、時間をかけて芽を出し、形を変えながら、今日の私のどこかに静かに根を張っている。 きっと、これからもずっと。

こうして自分自身の内側を見つめ直すようになった私は、翌年の2017年、メージョー大学で再びサティシュさんの声を聴く機会に恵まれた。
そこに集まっていたのは、ベトナム、中国、ラオス、インド、ブータンなどからの参加者。国境を越え、新しい時代を模索する人々だった。

サティシュさんは説く。「自然を支配するのをやめ、共生する文明へ向かおう、新しい時代は、わたしたちが自然回帰を心から信じることからはじまる。その意図、モチベーションが大切だ。問題や困難を恐れてはいけない。セオリー(理論)よりもプラクティス(実践)。言葉より行動。行動することに学びはある。」と。

当時の私は、自分の心の揺れを鎮めることに精一杯だった。けれど、あの日「恐れは幻想だ」という言葉の種を受け取ったからこそ、今の私にはわかることがある。

不安や困難を恐れる必要はない。大切なのは、自然回帰を信じる「意図」と、そこから踏み出す小さな「実践(プラクティス)」なのだ。

サティシュさんが引用したガンジーの言葉が、今の私の胸に新しく響く。 「あなた自身が、この世界で見たいと願う変化になりなさい(Be the change you want to see in the world)」

言葉は行動の裏付けに過ぎない。 揺れながらも自分を信頼し、一歩を踏み出すこと。その実践のなかにこそ、真の学びと平和があるのだと。

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