「餓鬼のように飢えた願いを広げてはいけない。」
あるスピリチュアルメッセージの中でその一文に出会った瞬間、胸の奥で光の粒がふわ〜〜っと動いたような感覚があった。
でも、「知っている」と「腑に落ちる」は、ほんとうに別のところで起きるんだよね。
頭で知っていたことが、身体や宇宙観のレベルで書き換わる瞬間っていうか。
だからあのとき、言葉が自分の中のどこか深いところで静かに位置を決めたように感じたわけ。
そのメッセージには、「願いは思考からではなく、どんな状態で願うかによって広がっていく」という話が添えられていた。
たしかに「欲しい、欲しい」と飢えた気持ちで願うと、その飢えたエネルギーが広がってしまうのかもしれないよね。
願うこと自体は自由で、未来を思い描くワクワクは、宇宙のどこかで新しい星が誕生するような健やかなエネルギーだと思う。
でも心が飢えると、銀河の回転がわずかに乱れるような感じで、内側の軌道も少しだけずれてしまう。
いま手の中にある光を思い出すことが大切なのかもしれないんじゃないかな。
どんなに小さく見えても、それに意識を向けた瞬間、内側の宇宙は本来の回転をゆっくり取り戻していくんだと思う。
そこから生まれる願いは、もう飢えの願いではなくて、焦りの重力もなく、感謝という光に引き寄せられながら、穏やかな軌道に乗って進む柔らかな願いになる。
同じ願いでも、乱れたエネルギーから芽を出すものと、本来の流れに乗って育つものでは、たどり着く未来の風景がきっと違ってくるんだろうなあ。
天の川に手を伸ばしたのは、飢えた願いじゃなくて、満ちた状態から広がる願いのほうへ軌道を合わせたいという象徴で。
今回の投稿は、「願いって、その人の状態から同心円みたいに広がる」っていう視点に触れて、ああ、そうかも…としみじみ。
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