クンダリーニと境界線:ナイロビでの私の黒歴史

瞑想
クンダリーニと境界線|ナイロビでの黒歴史的な体験談

※この文章は、2009年に書いた回想(2014年に改稿)を、2026年のいま、言葉を整えつつ再掲するものです。出来事そのものは、私が22歳の頃(数十年前)の体験です。
トップの写真も22歳の私、ケニアのラム島にて。

まず前置き:襲われてません。

初めてこの話を投稿したとき、読んだ人の何人かが、なぜか確信を持って言った。
「つまり、彼に襲われたんだよね・・・」と。
違う。
私があの夜いちばん恐れたのは、目の前の男ではなく、自分の中で起きはじめた何かだった。
だから先に言っておく。私は襲われていない笑

ナイロビの夜:ルディの行き過ぎた親切

私が22歳の頃、ナイロビで知り合いの家に居候させてもらっていた。同居人たちが小旅行に出てしまい、家に残ったのは、少し風邪気味だった私と、ルディだけだった。

ルディは、キスム郊外に暮らすドイツ人で、筋金入りのユルユルヒッピー。ルオ族のとても働き者の奥さんがいて、ビクトリア湖でのんびり釣りをしながら生きている。たまにふらりとナイロビにきては、あの家に数日滞在して帰っていった。私がビクトリア湖へ訪問したときは、彼の家族にお世話になった。このことを思い出すたび、アフリカの空気の手触りまで戻ってくる気がする。

その夜、私は体調がしゃきっとせず、のんびりゴロゴロして過ごしていた。そこへルディが、温かいチャイを持ってきてくれた。彼が作るチャイは、いつもスパイスの香りが濃く、甘くてとても美味しい。
「風邪に効くハーブ入りだよ」と言う。
ありがたい。
私は何の疑いもなく飲み干した。

……飲み干してから、気づいた。
これ、普通のハーブじゃない。
いや、これ「大麻とお茶を一緒に煮出したやつ」でしょ!

普段から酒もタバコも大麻もドラッグもやらない、身体がやたらクリーン仕様の私にとって、その効果は「容赦ない」という言葉がいちばん近かった。

視界が幻視でカラフルに回りはじめる。
曼荼羅の光、幾何学模様、現れては消える色の粒。
宇宙の壁紙みたいな世界。

そこまでは、体験を楽しんでいて、まだよかった。
問題は、その次だった。

尾骨から始まった強烈な感覚

ふと、腰の底で何かが振動しはじめた。
身体の内側で、小さな渦が回り出すような感覚。
その瞬間、説明のつかない恐怖が背中から噴き上がった。

そして、腰の底で回っていた「何か」が、螺旋を描きながら、ものすごい勢いで背骨に沿って上昇してきた。

私は必死に拒否した。
止まれ、と念じた。
上がるな、と歯を食いしばった。

でも、止まらない。

なぜか確信した。
「これが私を貫いたら、私は死ぬ」

頭の中には、謝罪と社会面が同時に浮かぶ。
ママ、ごめん。親不孝でごめん。
そして——
「大麻乱用で日本人女性、ケニアで死亡」
という見出しまで、勝手に出来上がる。

半パニックで叫んでいたらしい。
家のアスカリ(夜警)が安全確認でドアをノックしてきた。
ルディは青い顔で「大丈夫、落ち着いて」と言いながら、胸の前で手を合わせて祈っていた。
(彼なりの優しさと、彼なりの「やっちまったよ」感が同居した様子)

でも私は、彼らをどこか少し離れた場所から見ているようだった。
私と現実の間に透明な膜があって、そこに曼荼羅や幾何学模様の光が花火のように咲いては消え、ときどき強烈な光が視界を真っ白にした。

美しい。
美しいのに、怖い。猛烈に怖い。
怖すぎて、頭がおかしくなりそうだった。

必死の抵抗は空しく、ついに私は諦め、それは背骨に沿って私の身体を一気に頭頂へと貫いた。

そこからの記憶がない。

失神したらしい。
気づいたときには翌日の夜で、私は自室のベッドに移されていた。(当時は私も軽かったw)

そしてここは、誤解回収のために丁寧に書いておく。
服はちゃんと着たままで、襲われた形跡などは一切ない。
(この一文があるのにルディに襲われたんだろうという誤解が量産された当時のコメント欄よ。人間の想像力、強い。)

2009年:瞑想が、引き出しの奥を開けた

22歳当時の私の辞書には「クンダリーニ」という言葉がなかった。
だから私はこれを「最悪のバッドトリップ」として片付け、黒歴史の引き出しにしまい込んだ。

その後しばらくは散々だった。
体調を崩し、悪夢を見て、腹を壊し、1週間も寝込んだ。
覚醒どころか、ただの消耗戦。
もしこれを「浄化」と呼ぶなら、それは綺麗な言葉すぎる。

そして時間が流れて、2009年のある夜
瞑想していたら、尾骨のあたりが微細に震えて回転していて、

「……あれ? この感覚、知ってる」

と、忘れていた記憶が突然よみがえった。

その夜は、ムズムズで終わった。
上がってこない。貫かれない。失神もしない。
けれど確かに、身体の奥の「古いスイッチ」が反応したのを感じた。

体験を追わないこと——瞑想は「ただ在る」

瞑想を始めたばかりの頃は、どうしても「何か起きないかな」と体験を追いかけてしまう。
光が見えた、振動した、回転した、エネルギーが上がった——そういうサインがあると、ついそこに意識が吸い寄せられる。

でも、いまの私は思う。
瞑想は「体験すること」ではなくて、ただ在ることなんだ、と。
起きるものを追いかけるのではなく、気づいて、戻る。そこに静かに留まる。

尾骨のあたりが振動したり、回転していくような感覚が出ることはいまでもある。
瞑想の深まりと一緒に、ふっと光が見えるときも多い。
けれど私は、そこへフォーカスしない。追わない。
起きても起きなくても、ただ自然に起きて、自然に去っていくものとして、そのままにしている。

現象に囚われた瞬間、瞑想は「気づき」ではなく、追跡というか、何かの体験を追い求めるものになってしまう。
私が帰りたいのは、現象の派手さではなく、その奥にある静かな場所——ただ在るという感覚だ。

2014年:一度書き直した理由

2014年に、私はこの話を書き直した。
若い頃はただ怖かったものが、年月を経ると、違う輪郭を持ち始める。

準備がないまま深い層に触れてしまう怖さ。
それは神秘というより、境界線の問題だ。
私が言う「境界線」とは、起きる現象に巻き込まれず、いつでも「ただ在る」に戻ってこられる線のことだ。
知らないまま開ける扉には、名前がついていなくても、力だけはある。

2026年追記:いま、なぜ再掲するのか

2026年のいま、この話を読み返すと、まず最初に思う。
あの頃の私は、世界に対して開きすぎていた。
好奇心と無防備さの区別が、今よりずっと曖昧だった。

そしてもうひとつ。
私がいちばん怖かったのは「死」そのものではなく、自分の中に、自分の理解を超えた力があるという事実だったのかもしれない。

瞑想を重ねると、身体は時々、言葉になる前に反応する。
つまり通常は、「怖い」「嬉しい」「これはこうだ」と言葉で理解してから反応しているように思いがちだが、瞑想していると、頭で意味づけする前に、身体が先にサインを出すことがある。
理由がわからないまま、ふっと震えたり、ほどけたり。
それは美しいことでもあるし、だからこそ、追いかけない注意も必要になる。

2009年の私は、その入り口で立ちすくみ、
2014年の私は、少し距離を置いて文章を整え、
2026年の私は、ようやくこう言える。

あの夜は、笑える黒歴史であり、同時に、私に「境界線」を教えた夜だった。

だから再掲する。
「誤解」(ドイツ人ヒッピーにやられた説)を回収しながら、「身体の記憶」という不思議を、いまの言葉で静かに置き直すために。

大麻チャイの件については、時効ということで。
そして念のため:大麻でクンダリーニ体験を求めることはおすすめはしない。ただ、私の体験の激しさから、ひょっとして大麻以外の薬物も混入していたのでは、という意見もあり。

Dustin O’Halloran – “We Move Lightly”

音楽:Dustin O’Halloran – “We Move Lightly”
現象を追わずに、「ただ在る」場所へ戻るために。
静かなピアノが、呼吸のリズムをほどいてくれます。

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