※本稿は、noteに初出として公開したエッセイをもう少し自分の呼吸に近い言葉で書き直したものです。
線を引いてしまうマインドのこと
ふと気づくと、私は何かをすぐに評価しようとしている。
いいとか、悪いとか、合うとか、合わないとか。
考えているつもりはなくて、ほとんど反射のようなものだ。
たぶん、マインドは線を引くのが好きなのだと思う。
線を引いておくと、少し安心する。
ここまでは自分、ここから先は他人、そうやって世界を区切ることで、自分の立ち位置を確かめている。
線の内側で守っているもの
でも、その線はとても細くて、ちょっとした言葉や態度で、簡単に揺れてしまう。
誰かの何気ない一言にざわっとしたり、理由はわからないのに距離を感じたり。
そんなとき、私は相手を見ているようで、実は自分の内側を守ろうとしているだけなのかもしれない。
線を引くほど、ハートは少しずつ閉じていく。
閉じたままだと、自分のしんどさも、相手のしんどさも、なかなかほどけない。
それなのに、ついまた線を引いてしまう。
気づいたところから、視線が変わる
評価や決めつけをやめよう、なんて思うと、だいたいうまくいかない。
たぶん、やめる必要はないのだ。
ただ、気づけばいい。
「あ、いま線を引いているな」って。
そう気づいた瞬間、ほんの少しだけ、視線が変わる。
相手をどうこうしようとする代わりに、自分の内側で何が起きているのかを見てみよう、という向きに。
うまくいかない時間が教えてくれること
うまくいかない時期というのは、やっぱりしんどい。
でも、あとから振り返ると、あのとき私は、何を避けていたのか、どこに線を引いていたのか、それを教えられていた気がする。
怒りと期待のあいだで
誰かの言葉に腹が立つとき、その人が悪いのかというと、たぶんそう単純でもない。
私の中に「こうであってほしい」という期待があって、現実がそれを裏切っただけ。
そう考えると、怒りの矛先は、少しだけ内側に戻ってくる。
その線のこちら側で
思い通りにならなくて、がっかりしたときも同じだ。
対象を見る前に、自分はどんな世界を思い描いていたのか。
どんな前提を、当たり前のように置いていたのか。
今、私はどこで線を引いているのだろう。
その線のこちら側で、何を守ろうとしているのだろう。
答えが出なくてもいい。
ただ、そう問いながら、今日も自分の反応を見ている。
(静かな時間に、Arvo Pärt のFür Alina を、小さな音で)


