波動調整のために華麗にポテチ食べてます

スピリチュアルな日常
聖なる「波動」と、俗なる「食欲」の境界線~ポテチと肉汁の言い訳

聖なる「波動」と、俗なる「食欲」の境界線

SNSやネットの片隅で、なんとも不思議な言い回しによく出会う。

私は波動が高くなりすぎて、地球で生きづらくなってしまう。
だから、あえてジャンクフードを食べて、波動を落としているんです!

今日もそんな投稿に遭遇して、酸っぱいソルト&ビネガーのポテチをザクザクと食べていた私の手が止まった。その投稿に300以上のLIKE!👍がついているではないか!

コメント欄を覗けば、

「わかります! 私も上がりすぎちゃって、辛くて……」
「たまにはジャンクでグラウンディング(地に足をつけること)が必要ですよね」
「グラウンディングにはマクドナルドやKFCが最高なんです!」

・・・という共感の嵐。

これがいわゆるHumble Bragging (謙遜に見せかけた自慢)というやつだな、と私は小さく鼻で笑う。

一見、「ジャンクフードを食べてしまう自分」を卑下しているようでいて、その実、前提にあるのは「私は選ばれし高波動の持ち主である」という強烈な選民意識だ。ポテチを食べる行為すら、彼らにかかれば「高次の自分を現世に繋ぎ止めるための、苦渋の選択」という聖なる儀式に昇華されてしまうらしい。笑

なぜスピリチュアル人は、「食べたいから、食べる」というシンプルな欲求を、宇宙規模のストーリーに仕立て上げなければ気が済まないのだろうか。

そう考えた時、脳裏に浮かんだのは、全く同じ構造の「言い訳」を使っていた、ある人物の姿だった。2014年に他界した義母である。

彼女は大変信心深く、長年インドの某グルの教えに従い、ベジタリアンを貫いた人だった。だが、そんな彼女にも定期的に「その時」はやってくる。

なんだか、私の体がどうしても動物性タンパク質を必要としているみたいなの

彼女は厳かにそう宣言し、自分の夫にステーキを焼かせる。

自分の意志ではなく、あくまで「肉体(細胞)からの抗えない要請」に従っているだけなのだ、という姿勢。現代のスピリチュアル界隈が語る「波動調整」と、構造は全く同じである。

しかし、いざステーキが運ばれてくると、彼女の「高潔な言い訳」はどこかへ吹き飛んでしまう。

ナイフさばきに迷いはなく、レアに仕上げた焼き立ての肉からあふれる肉汁を、一滴たりとも逃さない。フォークで押さえた肉の断面から滲み出る脂を見つめる目には、祈りにも似ている。真剣勝負だ。皿に残ったソースまでパンで丁寧に拭い取り、最後には皿が洗ったようにピカピカになっている。その様子を、家族はみんないっせいに無言のツッコミを入れながら、呆れと愛情の入り混じった沈黙で見守るのが恒例だった。

「波動調整」だの「細胞の要請」「身体が求めている」だの、言葉の衣をいくら纏わせたところで、皿の上にあるのはただの肉であり、ジャガイモだ。

肉汁をパンに染み込ませて頬張る瞬間の、あの剥き出しの歓喜。それこそが、私たちがこの重たい肉体を持って地球に生きている、一番の理由ではないだろうか。

私は今、キャンプに持っていった残りのソルト&ヴィネガーのポテチを食べている。とても酸っぱくて舌が痺れる(笑)これは波動を下げるためでも、細胞の叫びに応えるためでもない。ただ、この酸っぱくて油っこい塊が、どうしようもなく美味しいからだ。

ついに袋がからっぽになり、指についた塩をなめながら、私は思う。

宇宙の周波数に合わせるよりも、目の前のポテチの味に全神経を集中させる方が、よっぽど正直なマインドフルの実践であり、グラウンディングなのだと。

そして今日の投稿には音楽を寄り添わせずにおこうと思う。高波動の音楽よりも、今は肉の焼ける音を聞きたい。笑 トップの写真は、ちょっと前に「肉食いてええ〜〜〜〜!」と私の体の細胞が叫びまくったときに作ったステーキ。チェンマイのGO Wholefoodsのお肉、なかなか安くて旨いのがあるよ(^^)

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