カルマヨガのメモ

成熟のレッスン
Bhagavad Gita: クリシュナとアルジュナ

偶然開いた本のページにあった言葉から、思い出したことを書き留めておきます。自分用のメモ。
何気なくページを開くのって、オラクルカードを引くみたいなところがあるよね。

バガヴァッド・ギーター

バガヴァッド・ギーター1
2章47〜48節。
クリシュナがアルジュナにこう語ります。

あなたの職務は、行為そのものにある。
決してその結果にはない。
行為の結果を動機としてはいけない。
無為に執着してはいけない。

アルジュナよ、
執着を捨て、成功と不成功を平等のものと見て、
ヨーガ2(実践)に立脚して諸々の行為をせよ。
ヨーガは平等の境地。

カルマヨガの実践

ずっと昔、亡き夫が私に
「君ってカルマヨガ3の実践者だよね」
と言ったことがあった。

夫が私をそう見ていたというのは嬉しいことだけれど、当時も今も、いやいや、全然そんなレベルじゃありません…というのがほんと、心から正直なところ(笑)

でも最近、人生のいろいろな場面で「カルマヨガを生きる」方向へ自然と仕向けられているのかもしれない、と感じることが増えてきた。

「カルマ」という言葉は、本来ただ行為そして行為の結果、という意味。

カルマヨガとは、ざっくり言えば、自分のダルマ4(役割・務め)を生きること。
日々の活動すべてが修行であり、無償の愛で、見返りを求めずに行為をすること。

人は生きている限り、毎日の行動の中で原因と結果としてのカルマ5を作り続けている。
わかりやすく結果が現れるものもあるけれど、目に見えにくくて厄介なのが「執着」。
それは、自分の行為の結果にしがみつくこと。

でも、結果というものは、良かったり悪かったり、いろんな要因が絡み合っていたり、
「ああしたからこうなる」と単純に説明できるようなものでもない。
そもそも、私たちがコントロールできるものでもない。

いろいろ端折って超要約してしまえば、クリシュナが言っているのは

「見返りを求めて行動してはいけない」

ということなのではないか。

行うべき行為にまっすぐ向き合い、そこにフォーカスし、そしてどんな心でそれを行うかこそが問われている。

与えられた務めを、献身的に、感謝と誠実さをもって行うこと。
普段の生活の中の、すべての行動がカルマヨガになり得る。

それは同時に「今」を受け入れ、いまこの瞬間に生きることにもつながっていく。
そうして私たちは、自分を縛るものから少しずつ自由になり、魂を浄化していくのだと思う。

そして、ここからが今の私の実感

昔は、結果に執着しないなんて、悟った人だけが語れる遠い世界の話だと思っていた。

私はずっと、
「うまくやりたい」
「役に立ちたい」
「意味のあることにしたい」
そんな思いで結果ばかり見てきたし、いまでも正直その癖は抜けない。

でも人生って、こちらの都合では動いてくれないよね。

努力しても報われないこともある。
一生懸命しても伝わらないこともある。
逆に、思いがけず運ばれていくようなこともある。

夫を見送り、ひとつ大きな役割が人生の中で静かに終わっていったとき、私は初めてほんの少しだけ理解した気がした。

「結果は、私のものじゃないんだ」 って。

私にできるのは、ただいま与えられている場所で、最善の心で行うこと・・・それだけだったのかもしれない。

カルマヨガって、特別で崇高な奉仕とか、華やかな自己犠牲みたいなことじゃないのだと思う。

誰かにそっとコーヒーを淹れること。
必要なときに手を貸すこと。
言葉にならない優しさを見守る形で差し出すこと。
そして、自分自身にも誠実であること。

「これで報われるだろうか」ではなく、
「これは、私の魂が選びたい行為だろうか?」

そう問いかけるたび、行為の質が少しずつ変わっていく気がする。

結果ではなく、行為そのものがすでに聖なるものになるという、ギーターの言葉が、ようやくゆっくり体の奥に染みてくる。

もちろん私はまだまだで、執着もするし、落ち込むし、がっかりもする。
全然スマートには生きられない。

それでも、こう思いたい。

いま、この瞬間を誠実に生きること。
成功も失敗も同じように抱きしめて、静かに次へ進んでいくこと。

それが、いまの私にとっての小さな「カルマ・ヨガの練習」なんだと思う。

(そして、小声で言うけれど——これがほんとに過去カルマの解消にもなるなら…悪くないよね。笑)

脚注

  1. バガヴァッド・ギーター(Bhagavad Gita)
    ヒンドゥー教の珠玉の聖典とされる古典で、社会生活を放棄することなく、義務を果たしながらも最高の境地に至ることができる、という教えを示している。 ↩︎
  2. ヨーガ(Yoga)
    もともとは「つながる」「統合する」という意味。心・魂・行為のあり方を指し、身体運動のみを指す言葉ではない。 ↩︎
  3. カルマ・ヨガ(Karma Yoga)
    自分の役割や日常の行為を、結果に執着せず、奉仕と献身の心で行う修行の道。バガヴァッド・ギーターにおいて示されるヨーガの実践の一つ。 ↩︎
  4. ダルマ(Dharma)
    宇宙の秩序・真理・法。個々の存在が持つ役割・使命・その人が果たすべき務め、という意味でも使われる。 ↩︎
  5. カルマ(Karma)
    本来は「行為」、およびその「結果」。良い悪いの道徳的判断ではなく、「原因と結果の流れ」を指す。 ↩︎

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