Part 1-2|昏睡の中で起きていた「自覚」

生と死
昏睡中でも意識は消えていなかった|アニータ・ムアジャーニの講演から

〜アニータ・ムアジャーニの講演からPart1−2
この投稿に関して、まずはなぜこの講演を訳して記録しておこうと思ったのかの理由をPart1-1に「アニータ・ムアジャーニの言葉と、今のわたし」として書きましたので、ご参照いただければと思います。

昏睡に入っても、意識は消えていなかった

2月2日の朝、私は目を覚ましませんでした。
私は昏睡状態に陥っていたのです。

夫のダニーが起きて、私を揺すり、呼びかけても、私は反応しなかった・・・。
パニックになった夫は、すぐに主治医に連絡をしました。

医師は、ただちに病院へ連れてくるよう指示し、私は大急ぎで搬送されたのです。

病院で医師が最初に夫に伝えたのは、
「最期の時を迎えているようだ」という言葉でした。
すでに内臓の機能は停止し始めており、この昏睡状態から回復することはないだろう、と。

けれど、そのとき私は――
すべてをわかっていたのです。

自分の周囲で何が起きているのか、誰が、どこで、何を言い、何を感じているのか。

それらすべてを、私ははっきりと自覚していました。

見えていた、というよりも、わかっていた、という感覚に近いかもしれません。

医師や看護師が話していることも、夫が感じている不安も、母がそばで抱いていた思いも、すべてが、そのまま伝わってきていたのです。

見るのではなく、「自覚する」という感覚

このときの認識は、
私たちが普段使っている「見る」「聞く」という感覚とは違っています。

通常の視覚は、
こちらを向けばそれが見え、
あちらを向けば別のものが見える。
焦点を移動させながら、世界を切り取っていく・・・。

けれど、このときの私は違っていました。

まるで、
360度すべてが一度に開かれているような感覚です。

前も後ろも、左右も、
近くも遠くも、
同時に「わかっている」。

壁があっても遮られることはなく、
壁の向こうで起きていることも、
音も、状況も、自然に伝わってきていました。

それが、私が感じた「自覚」です。

身体はそこにあったけれど、そこにいなかった

私は、自分の身体が
病院のベッドに横たわっていることも知っていました。

チューブにつながれ、
呼吸が苦しく、
治療を受けているその身体を、
私は「見ていた」のです。

けれど、そこに
自分が閉じ込められている感覚はありませんでした。

むしろ、
完全に自由でした。

身体に縛られていないという感覚は、
驚くほど軽く、
そして自然でした。

見えていたのではありません。
すべてを、
自覚していたのです。


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