怒りに支配されないために
怒りや憎しみの思考に支配されないよう、マインドフルでいたい。
(「無関心」ではないという意味でのマインドフル。)
ネガティブな感情は、行動や変化のための大事な原動力にもなる。でも、それにずっと支配されてしまったら、その感情の中でしか生きられなくなる。世界は暗くなるし、そのうち身体も壊すと思う。
怒りは必要だが、扱い方を間違えると誰かを傷つける
怒りは必要な感情で、ため込むのは良くないと言われる。確かにそれはそうだと思う。
ただ、怒りの爆発のさせ方によっては、自分は解放された気がしても、誰かを深く傷つけてしまうことがある。難しい。
ネガティブ感情の裏側には、いつも「理想」がある
それでも、ネガティブな感情の裏には、いつもポジティブなエネルギーがあるはずだと思っている。
怒りが湧いてくるときって、実は「こうありたい」と思った理想が阻害されたときだったりする。
だったら、一通りその感情を味わったら、自分なりの方法で発散して、とっととその本質へ帰っていくほうがいい。身体にも精神にも、環境にも、宇宙にも、たぶんそのほうがいい。
純粋さ、歓び、愛は最強だと思う
純粋さ、歓び、愛は強い。何かを解決するには、ネガティブ感情よりも、ずっとずっとパワフルなものになり得る。
怒りで行動をジャンプスタートさせるのもアリだろう。
でもその後は、怒りを後にして、愛や理想を軸にしていこうじゃないか、と思う。
きっかけ|「戦う」と同じ力の反発が返ってくる?
それに関連して、瞑想教師のいっちゃんの言葉を思い出した。
「原発問題と戦うと、その同じ力の反発が返ってくるのも法則なんだ」
先日これを読んでFacebookにも投稿したのだけど、ここしばらくずっと、反原発に対しての人々のエネルギーが重いと感じていた。
反原発をめぐる空気の「重さ」と、増幅される怒り
怒り、不安、悲しみ。いろんなマイナスの感情が渦巻いている。
デマ情報に踊らされて怒りを倍増させている姿などは、痛々しくもある。
一方で、原発推進の側を見てみれば、利権や金など、ひたすら欲の世界に見える。
マイナスとマイナスがお互いに栄養を与えあって、日本の集合的なマイナス想念が膨大なものになってしまっているように見えてしょうがない。
「そのレベルの考え方」では解決できない、という話
どんな問題も、その問題が創られたレベルの考え方では解決できないものだ、と言われている。
宇宙は、意識を注ぐところにパワーを与えて実現させていく。
もしそうなら、「反原発」を叫べば、そのままずっと反原発を続けねばならん状態になる。
原発を無くしたいなら、意識を向ける先を変えてみたい
原発を無くしたければ、代替エネルギーが反映された理想の世界に意識を向けていくほうが、もっとスムーズに変化していき、結果的に原発が不要になるのではないか。
私だって原発は絶対にゴメンだ。
脱原発の本質は、代替エネルギーの発展した、誰も傷つけないクリーンで美しい世界の実現だと思う。
だから、ボチボチ怒りのバネの力はお役御免にして、同じだけのパワーとエネルギーをポジティブな面へ注いでみたらどうだろうか、と願う。
それが原発事故からの一日も早い復興にも繋がるのではないか、と。
桑の実ジャムのトーストと、福島の記憶
福島での、子どもの頃の思い出がある桑の実のジャム。
それを乗せたトーストを食べながら、美しい福島の自然と、優しかった人々に思いを馳せつつ、そんなことを考えた。


