今、私は通訳者として、かつてないほどの試練の渦中にいる。アーユルヴェーダの神髄「マルマ療法」の講座。あまりに専門性が高く、プレ講義の通訳をしたあと、この講座の本コースなど「到底私の手に負えるものではない」と、お断りしようとしたほどの大役だ。これは絶対アーユルヴェーダの専門家に頼むべきだ。
尻込みしている私に、優しい主催者さんは講義の中心になる言葉について「サンスクリット語を細かく理解するのは専門家でも困難なこと。ゆかさんは、意味がわからなくてもいいから、聞こえる音をそのまま訳すことに徹してくれれば大丈夫!専門用語は私がサポートします!」と力強く背中を押してくださった。その言葉を信じて、私はこの荒波に飛び込む決心をしたのだ。
しかし、いざ幕が上がると、現実は甘くなかった。最大の難敵は、インド人ドクターが操る独特の英語だ。舌を弾くような音、歌うように波打つイントネーション。近くにその場に一緒にいるならまだいい。それが不安定な回線を通り、教室のノイズと共に聞こえてくる。先生がマイクから離れると、声ははるか遠くへ。……正直、まず聞こえない (T▽T)
それに目を血走らせて読み込んだ講義の資料の変更。「やっぱり今日はこっちにしました(^^) 」みたいな感じで、当日の朝届いたりする。>┼○ バタッ 😱
大変な恥を晒すようだが、初日などはドクターが壮大で深遠な哲学を語っている最中、とんでもない誤訳をした。直後に「ちょっと待て……?」と我に返り、大慌てで訂正する。もはや何という単語の聞き間違いだったのかも思い出せないが、あのとんでもない誤訳のぶちかましっぷりったら、場外ホームラン並み。あの瞬間の冷や汗は忘れられない。
笑い話にできたのは、幸運にも間違いに気づけたからだけど、私が気づかないまま見過ごしてしまった誤訳がまだ他にもあるんじゃなかろか・・・。そう想像するだけで、ゾッとするような恐怖に襲われ、一人で「やばいやばいやばいやばい・・・」を連発しながら頭を抱える怪しい人になっている。
「聞こえる音をそのままに」という主催者さんの温かい言葉は今もありがたく胸にある。けれど、やはり、そういうわけにもいかない。早朝から深夜まで、目をショボショボさせながら、なんとか言葉の核心に触れようともがく予習の日々。大好きな推しのライブもお休み中だよ。
タオガーデンで通訳を始めた当初、タイ人老師の強い訛りと格闘しながら解剖学や気功の話題で苦労したが(今はかなり慣れたし、あそこは講師がピンマイクをつけていたり、オンライン講義の環境がとてもよく整っている)、今回はその比ではない。
以前のプレ講義では、得意分野であるヴェーダの「音」に関するトピックが登場し、「やった!」と心の中でガッツポーズをした瞬間もあった。あの時の高揚感が、今回もどこかで訪れてくれないだろうか

10日間、この濃密な時間が毎日続く。果たして務め切れるのかという不安はある。けれど、同時にこうも思うんだよね。
一度は無理だと諦めかけたほどの、自分を揺さぶるような試練に出会えるのは、実はとても幸運なことではないか、と。無理だと思うことに挑戦してみるのは、無謀なことかもしれない。けれど、断ってしまったらそこまでだからね。
この10日間を乗り越えた時、私の世界は今より少しだけ広がっているんじゃないかな。未知の響きを自らの中に受け入れる。そのプロセスを楽しみながら、明日もまた、次なる誤訳に怯えることなく、食いつくようにしてドクターの音に耳を澄ませたい。
とても深淵で素敵な話題だ。関われて幸運である。
果たして残りのセッション、無事に完走できるでしょうか……?
諸関係者のみなさん。よろしくお願い申し上げます
ナマステ🙏


