生と死

生と死

年月を経て読み直す『預言者』—— 死から生へひらかれる視線

2018年に書いた『預言者』の記事を、2025年の年末の今、あらためて読み返してみた。同じ言葉なのに、胸に届く意味はまるで違っている。死を見つめていた視線は、生きている私自身へと静かに反転していた。年月とともに息を変えるジブランの言葉と、いまの私の立ち位置について。
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カリール・ジブラン『預言者』―― 死と苦しみをめぐる静かな慰め

レバノンの詩人、カリール・ジブランの『預言者』。愛や友情だけでなく「死」や「苦しみ」についても、静かな光のような言葉で語りかけてくれる本です。夫の死を経て、この本の言葉にどれほど慰められたことか。死は終わりではなく、祝福として受け取ることができる、そんなまなざしを、この本は手渡してくれます。
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Part 1−5|判断も、許しも、そこにはなかった

生と死の境界で彼女が父と再会したとき、そこには判断も、許しも、善悪も存在していなかった。剥がれ落ちたすべての役割の奥に残っていたのは、ただ純粋な愛だった。
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Part 1−4|時間も空間も超えて、つながっている

昏睡状態にあった彼女の意識は、時間や空間の制約を超え、遠く離れた兄とも同時につながっていた。そこで彼女が見たのは、人生が一本の糸として織り込まれた、完全なタペストリーだった。
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Part 1−3|存在しているだけで、完全に愛されていた

昏睡状態にあった彼女が体験したのは、何かを成し遂げたからではなく、ただ存在しているという理由だけで完全に愛されているという感覚だった。そこでは、努力も証明も必要なかった。
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Part 1-2|昏睡の中で起きていた「自覚」

昏睡に陥っても、意識は消えていなかった。見るのではなく、すべてを「自覚していた」という感覚。アニータ・ムアジャーニの言葉を通して、意識の境界を静かに辿る。
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Part 1-1|余命宣告と、戦うことをやめた夜

末期癌で余命を宣告され、呼吸も眠りもままならなかった夜。戦うことをやめ、すべてを手放したとき、はじめて訪れた眠り。アニータ・ムアジャーニの言葉を手がかりに、生と死の境目を静かに辿る。
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グリーフを超えて生きなおすこと

2014年に相次いだ大切な人たちの死。深い喪失と混沌の中で体験したグリーフを通して、命の連続性と「生きなおす」ということの意味を見つめた2015年の記録。