Part 1-1|余命宣告と、戦うことをやめた夜

生と死
余命宣告と、戦うことをやめた夜|アニータ・ムアジャーニの講演から

― 死の淵で思い出した「生きる」ということ ―

アニータ・ムアジャーニの言葉と、今のわたし

今はもう公開されていないアニータ・ムアジャーニの講演を、私が個人的に聴きながら書き留めていた言葉たちをかつてブログに公開していた。これは、その長年使ってきたブログが壊れてしまったのをきっかけに、今あらためて書き直している文章だ。
つまり今の時点の私からの再投稿である。

正式な翻訳ではない。
完成された原稿でもない。

けれど、あの頃の私が、
生きるために必死で受け取っていた言葉であり、
そして今の私にとっても、
なお支えであり続けている言葉たちでもある。

2014年という年は、
私にとって、喪失が重なった特別な一年だった。

1月に実の姉のように慕っていた親友を亡くし、
5月に長年身近に暮らした義母を見送り、
8月には夫を、
そして年の終わりに、23年連れ添った愛猫を亡くした。

最初にアニータ・ムアジャーニの本を手渡していただいたのは、
義母を亡くした直後のことだったけれど、
振り返ってみるとその年全体が、
生と死の境目に立たされていたような時間だったのだと思う。

当時はただ、
何かにすがるように彼女の話を聞き、本のページをめくった。
言葉の意味を深く理解していたわけでもない。

けれど時間が経った今、
あの言葉たちは、
臨死体験や奇跡の話を超えて、
「本来、生きるとはどういうことなのか」
という問いを、私の中に残していたのだとわかる。

この文章は、出来事を説明するためのものではない。

恐れのただ中にいた時期に、
私が確かに受け取っていた言葉と、
今の私がそこから見ている風景を、
静かに重ねていくための記録だ。

以下は、過去の記録であると同時に、
今の私が、今の地点から差し出す言葉である。

身体と意志が、静かに手放された夜〜アニータ・ムアジャーニの講演から

今日は来てくださってありがとう。
多くの人はもう知っていると思うけれど、
私は、本来なら今ここに生きているはずがなかった人間です。

私の「最後の日」は、
2006年2月2日だと告げられていました。
医師から、そして家族にも、
私はもう助からないと伝えられていました。

末期の悪性リンパ腫でした。
4年間、癌とともに生き、闘ってきました。
けれど4年が経ち、癌は全身に転移していたのです。

最初は首でした。
首の付け根から始まり、首の周囲、脇の下、胸、腹部へと、
レモンほどの大きさの腫瘍が次々にできていきました。

首の横には大きな傷が開き、
そこから体内の毒がゆっくりと漏れ出していました。
肺には水が溜まり、
横になると自分の肺の水で呼吸ができなくなるため、
まっすぐ横たわることすらできなかったのです。

身体はすっかり衰え、
筋肉は落ち、骨ばかりが浮き出ていました。
数歩歩くだけで力尽きてしまうので、移動は車椅子でした。
酸素吸入器にもつながれていました。

病院がどうしても苦手で、
私は自宅でのケアを選びました。
フルタイムの看護を受けながら、
治療のたびに病院へ通っていました。

2月1日の夜。
その夜のことは、今でもはっきり覚えています。

呼吸が苦しく、咳が止まらず、
眠ろうとすると息ができずに目が覚めてしまう・・・。
起きていることもできず、
眠ることもできないのです。

あまりにも苦しくて、
もう、どうにもならなりませんでした。

私は、生きようとしてきました。
命をつなぎとめようと、
本当に、ずっと闘ってきたのです。

でも、あの夜、ふと、こう思いました。
もう十分に闘ったじゃないか、と。

この状態で、
地獄のような苦しみの中を生き続けることが、
果たして「生きる」ということなのだろうか、と。

そう思った瞬間、
私はすべてを手放すことができました。

抵抗するのをやめ、
完全に、委ねたのです。

すると――
それまでできなかった眠りが、
不思議と、訪れました。
2006年2月1日の夜のことです。


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