枯れた花

成熟のレッスン

枯れた花を見ると、いつも胸の奥がきゅっと切なく、そして不思議といとおしい気持ちになる。
そこに重なるのは、若さが遠ざかり、少しずつ変わっていく自分の姿。
まだ若かった頃には気づかなかった感情だ。

美しい盛りの花は誰からも愛され、称えられるのに、役目を終えて地面に落ちた花は、誰かに踏まれても気にされない。
そんな場面を見ると、「やめて…」と声をかけたくなってしまう自分がいる。
でも、それはきっと花だけのことじゃなくて、自分自身の人生とも重ねているからなんだろう。

失われたものを思い返してばかりいたり、もう取り戻せない時間を何度も心の中で再生したり――
そんなことをしても仕方がないと頭ではわかっているのに、なかなか手放せずにいる時間が、たしかに私の苦しみだった。

昔の自分にしがみつくことで、未来の自分に影を落としてしまう。
それに気づかないふりをして、同じ会話を交わし、同じ笑い方で、同じような毎日が続けばいいと憧れてしまう自分もいる。

でも、どんな素晴らしさも永遠ではない。
苦しみも、幸せも、光も影も、すべては移ろいゆくもの。
それを受け入れたとき、私たちはきっと「いま目の前にある瞬間」を、もっと深く味わい、感謝できるのかもしれない。

枯れた花は、ただ終わりを象徴しているわけじゃない。
その姿は、「美しさは形を変えて続いていく」ということを教えてくれる。
若さだけが美しさではなく、時間とともに積み重ねられた物語や、しなやかさや、優しさだって美しさの一部。
だからこそ、心まで萎れてしまわないように、自分の内側にある光は育て続けていきたい。

枯れた花を見るたびに、「いまここで、どう輝くか」を問いかけてくれる気がする。
若さが過ぎ去っても、新しい美しさを見つけ、成長し続けることはできる。
過去を再現しようとするのではなく、いまを生き、笑い、呼吸し、ときが来たら静かに手放せる人でありたい――
そんなふうに思う2023年に還暦になった私だ。

いつか必ず終わりが来ると知っているからこそ、今日という一日が、愛おしくてたまらない。

昨日はヒストリー、明日はミステリー。
でも今日はプレゼント。
“Present”って、そういう意味なんだって思うと、とても素敵だよね。(^^)

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そして、BGMには少しばかり切なくて、美しいシューベルトを。
ようやく、その深い光を味わえるようになった自分にも、少し微笑みたくなる。

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