薄明光線 — 過去と現在が、ふいに重なるところ

記憶の風景

薄明光線(天使の梯子)の洞察です。
友達のタイムラインで薄明光線の写真を見て、あの光のことを話したくなって(^^;
薄明光線を見ると、遠い場所の匂いがふっと漂ってくるんだよね。

アフリカのサバンナで、大雨のあとに見た光のこと。
どうしてあの光景がこんなにも強く残っているのか、自分でもうまく説明できない。
雷は、空から激しく落ちた瞬間、勢いよく大地から空へと跳ね返っていった。
あの稲妻の動きは、いまだに上とか下という概念の中に置けないような激しいものだった。
世界がひっくり返ったように見えたのは、本当にそうだったのか、それとも心が揺れていただけなのか?

あっという間に嵐は通り過ぎ、雨が止んだ瞬間、空気だけが先に静けさへ移行した。
嵐の終わりというより、まだ何かが始まる前の、あの独特の気配っていうの?

そしてそのあと光が現れた。

降りてきたと書くのが一番近いけれど、同時に、地面から吸い上げられていたようにも見えた。
世界が縦に開いて、そこからひと筋ずつ光があふれだす・・・記憶の中では、そんな景色なんだよね。

宮沢賢治があれを「光のパイプオルガン」と呼んだのは、形そのものよりも、世界が音として鳴りかける、あの瞬間の気配を言い当てているからかもしれない。
音はないのに、なぜか聴こえてくる感じがする光。

21歳のあのときの私は、景色を見ていたのか、内側の何かを見ていたのか、いまだに判別がつかない。
記憶はいつも同じ輪郭では戻ってこない。
光の角度が変わるように、その日どこに立っていたかによって、鮮やかに思い出される場所も、ぼやけていく場所も変わっていく。

だからなのかな。

いまの私が揺れると、あの光の気配だけが先に胸の奥で動くことがある。
そして実際に薄明光線を目にすると、あの嵐のあとの光が瞬時に頭の後ろのほうで蘇るんだよね。
とうの昔に終わったはずの光が、いまだにどこかで続いているなんて、それが何を示すのか、はっきりした意味なんてわからないけどね。

ただ、心のどこかで「まだ先があるよ」とかすかに知らせているようにも思える。
過去に置いてきたと思っていた光が、いまの自分を押し出す力になるなんて、当時の私は想像もしなかったこと。
いまだに薄明光線に出会うたび、あのサバンナの光と、目の前の空の光が、わずかに重なりあう。

そこには言葉は要らなくて、ただ、次の一歩へ向かう方向だけがかすかに示される。
光って、照らすというより、静かに「どちらへ進むか」を思い出させてくれるものなんだと思ったりする。

そんなふうに感じたことがある人、いるのかな?

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