焚き火の夜:内側の世界が外側を創る

痛みと光の間
焚き火の夜、光と影のあいだで

昨夜、子どもたちの世代と言ってもいいくらいの若い友人たちと、ひとりの誕生日を祝った。

ちょっと遠慮がちなものの、年齢差を越えて自然に輪に迎え入れてくれるその空気が、少し恥ずかしいような・・・でも心地よい。笑
(ちなみに、うちの息子や娘が自分の友達の輪に私を混ぜるなんて…到底想像つかない。笑)

国際色豊かで、持ち寄りの料理もとても美味しくて、焚き火の炎が静かに揺れ、ギターが夜の空気をやわらかく震わせる。(Hikaruさんのギター、もっと聴きたかった!)

なんて気持ちのいい空間なんだろう。
普通の話題をしているだけなのに、ところどころに深さを感じる。
若い世代がこんなふうに成熟していることに、胸の奥がじんわり温まった。

後から、参加者のグループLINEで、ある女の子がこんなメッセージを送ってくれた。

「誕生日のT君が『内側の世界が外側を創るんだよ』って言っていて、その言葉がすごく響いた」と。

私はその場で直接聞いたわけではないけれど、その一文がやさしく心に残っていて、あの夜の象徴のような言葉だなと思った。

でも、そんなあたたかい余韻を抱えたまま帰宅した直後、突然、訃報が届いた。
チェンマイ・ヒナステラ国際音楽祭の運営で大変お世話になった方で、胸の内側がすっと冷えるような感覚がした。

交流の暖かさと、訃報の冷たさ。

この二つは相反しているようで、実はまったく同じ「外側の世界」の一部。
どちらかを否定するのではなく、それをどう受け止めるかは、自分の「内側の世界」が決めていくことだ。
喜びと喪失が、混ざり合うこともなく隣り合わせに胸に並ぶ夜。
けれど、内側の世界と外側の世界は、いつもこんなふうに響き合っているのかもしれない。
内側が澄んでいくほどに、外側の景色もまた少しずつ形を変えていくんだよね。

昨夜の光と影の両方が、今の私を形づくっている。
でも焚き火の向こうに見えた未来の光は、まだしっかりと胸の奥にある。

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