針仕事をする女性 ― モン族の村で考えた「美しさ」

旅と思索
針仕事をするモン族の女性

モン族の村で、ひとりの女性に出会った。
布を広げ、黙々と針仕事をしている。

その姿は、ただ仕事をしている人、というだけではなく、そこに暮らしてきた時間までも静かに語っているようだった。
色とりどりの布の上を、迷いのない手つきで針が進んでいく。
その動きはとても静かで、長い時間を共に過ごしてきた仕事のリズムそのもののようだった。

母と同じくらいの年齢だろうと勝手に思い込み、細かい針仕事は目にも辛いだろうなあと思って、何気なく歳を尋ねてみた。

返ってきた答えは「67歳」。
思わず、ほんの一瞬言葉に詰まった。
私と、そう変わらない年齢だったからだ。

彼女の肌は、太陽に磨かれたように固く、深いしわが刻まれている。
それは老いというより、風や土や重たい仕事と共に生きてきた時間が、そのまま身体に残ったような質感だった。
風の冷たさも、土の重さも、何度も越えてきた働き者の身体。


その顔を見ていると、「老けている」という言葉は、どこにも当てはまらなかった。

ふと、自分のことを思った。

日焼けを避け、シワを増やさないよう気を配り、老化に抗うことに、少なからず心を使っている毎日。
それはそれで、今の私にとっては自然な選択なのだけれど、目の前の彼女の姿を前にすると、その価値観がふっと揺らいだ。

彼女の顔を前にして、私は少し居心地の悪さを感じた。
自分が何に必死になっていたのか、少し恥ずかしくなるような気がした。
何を美しいと感じて生きてきたのかを、静かに問い直すような感覚だった。

彼女の顔には、苦労も、疲れも、喜びも、悲しみも、数えきれない日常が刻まれている。
それでも、その表情には不思議な落ち着きがあり、針を進める手には、揺るぎのない確かさがあった。

本当に美しいって、何だろうね。

守られてきた肌だけが美しいのだろうか。

何も刻まれていない顔だけが輝いているのだろうか。
目の前の彼女の顔には、苦しみも、喜びも、働いた時間も、全部が積み重なっていた。

それは決して疲れた顔ではなく、生き切っている顔だった。
美しさとは、守ることだけで生まれるものではなく、刻まれることで、深まっていくものもある。
その顔を見ていたら、美しさというものをもう一度、心の内側から考え直してみたくなった。
老いることは、静かに輝きを増していくことでもあるんだね。


それでもやっぱり、私はこれからも老化には抗うのだと思う。
日焼け止めも塗るし、ケアもする。笑

でも、あの女性の横顔は、「抗うこと」と「受け入れること」は、本当は対立するものではないのだと教えてくれたのではないか。
つまり、「老いを受け入れろ」という話ではなく、「自分の人生を否定しなくていい」ということだよ。

もう少し噛み砕くと

  • シワ=失敗ではない
  • 年齢=価値の低下ではない
  • 刻まれたもの=消す対象ではなく、意味を持つもの

という、価値観の置き換えが起きた感覚だ。

生きてきた時間は、隠したり消したりするものではなく、そのまま自分の一部として抱えながら、生きていくものなのだな。

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枯れた花に重ねるのは、失われていく若さではなく、形を変えて続いていく美しさ。手放しながら生きること、その中に宿る静かな輝きを見つめたい・・・そんな想いで還暦のときに書いた私の記録。
枯れた花

ヤナーチェク〜『草陰の小径にて』第1集から「吹き飛ばされた木の葉」

音楽:Janáček – On an Overgrown Path I-2 “A Blown-Away Leaf(Lístek odvanutý)”
風に飛ばされる一枚の葉のように、つかもうとした瞬間にすり抜けていく感情がある。
でも、だからこそ確かに残る輪郭もある。
村で出会った手仕事の美しさは、飾りではなく、時間の中で磨かれた静かな芯だった。
この曲の途切れ方が、その芯を照らしてくれる気がする。

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