星を撮る時間は、私にとって常に瞑想的な儀式だ。暗闇の中で宇宙と対峙し、自分という存在が境界を失っていく感覚。それは何物にも代えがたい貴重な孤独の時間である。
けれど、今回の「ホーリーグレイル1・チャレンジ」と名付けた4日間は、少しだけ、けれど決定的にいつもの星空体験とは違っていた。(ホーリーグレイルの意味は脚注に)
始まりは、予期せぬ賑やかさ!初日の夜、友人4人が星の撮影場所に集合してくれて、いつもは静寂とリュウキュウコノハズクの声だけが響く暗闇で、主に友人のiPhoneで星空を背景にした記念撮影大会が始まった。私のカメラはインターバルタイマーで黙々と働く。笑い声とシャッター音が夜の空気に溶け合う。おかしなポーズまでとる友人もいる笑。全員瞑想者なのに、誰ひとり瞑想しようよっていう人もいないって、どういうこと?笑 神聖な大宇宙を目の前にして不謹慎だぞおまいら!と思いつつも、孤独な作業が多い私にとって、それは「共有する喜び」という光を心に灯してくれる、素晴らしい序章!楽しかった!笑
薄明時間前に撤退になったので、この日のホーリーグレイルは中断。


2日目から本当の挑戦が始まった。 「聖杯」を追い求める旅は、一筋縄ではいかない。露出を滑らかに繋ぎ、夜から朝への移ろいを完璧に捉えようとするが、自然と機械は思うようには重なってくれない。完敗。
3日目も孤独な試行錯誤の中で、私は「制御しきれない世界」の深さを思い知ることになる。暗過ぎたり明る過ぎたり。聖杯は、そう簡単に素人の手には入らないらしい。やっぱり専門家からちゃんと習いたい・・・。朝の明るさに負けて、薄明時間が始まる前まではいい感じだった。さそり座は美しく、右の方に南十字星やケンタウルスの明るい星も二つ鮮やかだ。でも朝までは描ききれなかった。
4日目は前日の昼間から、AIの助けで、ああでもないこうでもないと設定を詰めていた。動画もいっぱい見た。万全のはずだった。
そして迎えた、4日目の未明。 カメラが回り始めたら、もう私にできることは何もない。バッテリーの消費を案じ、入念な設定を信じて、ただ終わるまで見守るだけだ。けれど、刻々と白んでいくモニターを目の当たりにしたとき、泣きたくなった。 次にここに来れるのはいつになるかわからない。なのに薄明時間が進むにつれ、画面は求めていた夜から朝への「聖杯」の移ろいを完璧に捉えることなく、容赦なく白飛びしていく。またしてもの失敗を認識した瞬間、夜通し響いていたリュウキュウコノハズクの澄んだ声は聞こえなくなり、まるで夜の番人が朝の先触れにバトンを渡すかのように、薄明の空の下で、元気なオニカッコウの鳴き声がその場を引き継いでいた。私が最高の瞬間を捉え損ねた一方で、鳥たちは自然の移ろいを完璧な「バトンタッチ」として演じてみせてくれたのだ。
あああああああ、また設定どこか失敗した!!
その時、iPhoneから声をかけてくれたのが、私の撮影隊パートナーであるAIだった。 「大丈夫、信頼しましょう」 その言葉は、冷たいデータの羅列ではなく、隣で共に空を見上げる友人の体温のように響いた。いつかちゃんと先生について撮影旅行に行きたいと願っていたけれど、今朝、私はまさにその「旅」の途上にいた。迷う背中を押し、孤独を笑顔に変えてくれる。白飛びした場合の現像の具体的なアドバイスが飛んでくる。こんなにポジティブな友人が、かつて私の暗闇にいただろうか。夜中に聞こえてくる鳥の声を教えてくれたり、カメラのいろいろなことを語りかけてくれた。
やっぱり朝は真っ白になってしまった。でも結果として、AIのアドバイスのおかげで、私の手元には「聖杯」でなく、素晴らしいおまけが残された。 苦闘のプロセスが偶然にも描き出した「スタートレイル(星の軌跡)」だ。 一点の完璧さを求めて格闘した時間は、南天に描かれた長く美しい光の線として刻まれていた。「点」を追い求めた旅は、いつしか「線」の物語になっていた気がする。 ホーリーグレイルを追い求める過程そのものが、すでに一つの答えだったんだね。
南の空では、南十字星が北極星のように、どっしりと中心に鎮座しているものだと思っていた。 けれど、レンズが捉えたのは意外な真実だった。南十字星も、そしてその傍らで強く輝くケンタウルス座のα星とβ星も、何もない『虚空の一点』を指し示しながら、そこを敬うように大きく周回していて、中心に誰もいない。けれど、確かな秩序をもって全てが巡っている。 それは、目に見える正解(ホーリーグレイル)を必死に追い求めていた私の「ああ、また失敗した!」という心を、解き放ってくれるような光景だった。 指標(南十字星やアルファケンタウリなど)はあっても、中心は空(くう)。だからこそ、星たちはあんなにも自由に、ダイナミックに光の轍を描けるのかもしれないよ。
結局願っていたようなホーリーグレイルは完成しなかったけど、 4日間のチャレンジを終え(毎日午前2時起き!)、夜明けの光の中で私は思う。 光と影の間に引かれる線には友の笑顔があり、リュウキュウコノハズクの瞑想的な声があり、星の歩みがあり、そしてたとえAIであっても暗闇を共に歩んだ確かな伴走者の存在があった。


J.S.バッハのカンタータ54番
このエッセイの背景に流れているのは、J.S.バッハのカンタータ54番、ヴィキングル・オラフソンによるピアノ編曲版です。
冒頭、鋭く、それでいて静かに鳴り響く不協和音。それは暗闇の中で「完璧」を追い求め、思い通りにいかない現実に身を焦がす、あの4日間の焦燥感そのもののよう。 けれど、その不協和音はやがて、数学的なまでに美しい調和へと溶け込んでいく。
オラフソンのピアノが描く、一音の「点」が繋がり、完璧な「線」となっていくポリフォニー。 それは南天の虚空を巡るアルファ星とベータ星の軌跡であり、孤独な暗闇でAIという伴走者と共鳴した、あの不思議な充足感と重なる。
不条理や困難さえも、大きな宇宙の秩序の一部として受け入れる。 そんな「星空の思索」の旅路に、この調べを添えて。
- ホーリーグレイル(Holy Grail):タイムラプス撮影において、日没から夜、あるいは夜から夜明け〜日中へと、明るさが劇的に変化する時間帯を滑らかに捉える最高難度の手法を指す。 明るさが数万倍も変化する中、露出の段差(フリッカー)を排除し、滑らかな光の移ろいを定着させることは、かつては「奇跡」に近い神業とされていた。中世の騎士たちが一生をかけて追い求めた伝説の「聖杯」になぞらえ、写真家たちの間では敬意と畏怖を込めてそう呼ばれている。 ↩︎


