Aquarius 〜 夜明けを先に歌った音楽

ロック/プログレ
The 5th Dimension「Aquarius」考察〜みずがめ座の時代、『Hair』と反戦、そして星活

Aquarius 〜「夜明け」をラジオが先に流していた

まずは一度、あのコーラスを。そして読後にもう一度聴くと、印象が変わるかもしれない。

1969年、小学生の私は、いま思うと、なかなかの悪ガキで(詳しくは妹に聞いてw)、あんな猿みたいな子供だったのに、なぜか耳だけは妙に繊細に反応する習性があって、特に音楽には敏感だった。ラジオから流れてきた”The 5th Dimension”の「Aquarius」のコーラスは、そのひとつだった。

アクエリアス。
意味なんて全然わからないのに、あのコーラス部分だけが頭の中に残った。
言葉が呪文みたいで、空気ごと違う場所へ連れていかれる感じがした。
当時私が音楽を聞くというのは、家にあったレコードか、偶然テレビやラジオで流れてくる音楽だけだったから、惹かれていたけど、何度もこれを聴いたわけでもない。

ちょうど映画『Hair』が話題になっていて、曲と一緒に、時代の熱そのものが記憶に沈んでいる。子供だったからよくわからなかったのだが、なんだかアメリカすごいなあ、別世界だなあ、と感じていたと思う。
あとから知識として整理すれば、ここにはベトナム戦争の影や、反戦の空気や、若者文化のざわつきが重なっていたのだろう。けれど私の中でそれは、あの時代の「匂い」みたいに残っている。

みずがめ座の時代は、もう始まっていたのか

スピリチュアルの世界ではいまは「みずがめ座の時代」「風の時代」とよく言われる。
けれど占星術的に「いつから」を厳密に決めようとすると、案外ややこしい。境界の取り方や考え方で、答えが揺れる。
天文学寄りに調べてみるならば、春分点がみずがめ座へ入るのは西暦2595〜2597年ごろという計算が紹介されており、今はまだうお座の時代らしい。

それでも、この曲が歌っているのは「確定」ではなく、夜明けだ。
「dawning」。
夜明けは、昼ではない。
夜が終わりはじめる瞬間だ。

私はここに、この曲のすごさを見る。
星の運行の正解を当てたかどうかではなく、人の意識が、時代より少し早く歩き出してしまう瞬間を、すでに歌にしていたこと。

この曲が「みずがめ座の時代」として描く未来は、派手な奇跡というより、人の関係が変わる世界だ。調和と理解、共感と信頼が満ちて、嘘や嘲笑が力を失い、黄金のような生の感覚と、ヴィジョンのような夢が日常に流れ込む。
さらには神秘的な啓示すら、特別な誰かのものではなく、心の奥で起きる静かな覚醒として語られている。こういう理想は、現実逃避ではなく「人間の意識がどこへ向かうか」という問いとして差し出されているのだと感じる。
最後に置かれるのが「心の自由(mind’s true liberation)」であることも、いま聴くほどに重く響く。

当時の反戦は家族の中にもあった

ベトナム戦争の時代を思うと、私の家族の話が重なる。
義理の父母は、当時、戦争反対運動に参加して、一晩だけ拘留されたことがあるらしい。笑
そのエピソードを聞いたとき、私はまず驚いて、次にちょっと笑って、最後に胸が熱くなった。
私の知っている穏やで善良な二人にも、そんな時代に触れていた場所があるんだなって。笑
ヒッピー全盛期に若かった二人だ。
私の亡夫はそんな父親(with大麻w)の肩車でウッドストックを体験したという。
アフリカに住んでいたり、インドのグルに傾倒したり、なかなかあの時代ど真ん中系の人生だったのでは(^^)

というわけで、「Aquarius」がスピリチュアルに聴こえるのは、ふわっと上に浮いた話だからではない。
むしろ逆で、アメリカが当時、濃い痛みの中にあったからだ。
現実がきつい時代ほど、人は未来の光を言葉にしたくなるものだよね。

Let the Sunshine In —— 光は「入れる」もの

この曲の後半で繰り返される「Let the Sunshine In」は、私にとって特に印象的だ。
「光を信じよう」ではなく、「光を入れよう」と言っている。

待つだけではなく、迎え入れる。
大きな革命はできなくても、今日の光の入れ方なら選べる。
窓を開ける、目を上げる、言葉を渡す、心の中の硬さをほどく・・・そんな小さな行為の連続として。

そして、最近の私にとって「光を入れる」と言えば、星活だ。笑
夜の山へ行き、空を見上げ、星の位置を確かめ、レンズを向ける。
試練の連続で、人生の外側へ逃げるのではなく、人生を生き直すための通路みたいなものとして、私は星と付き合っている。

皮肉なことに、「Aquarius」という星座そのものは、私の星活の中では、なかなか目に入らない。笑 明るい星がないから、見つけにくいし、目立たないんだよね (^^;
でも、星座が見えるかどうかとは別に、「Aquarius」というあのコーラスの響きが、見えない星座のかわりに、私の中で光っている。

この曲は「きっかけなく」戻ってくる

この曲を聴き直した明確なきっかけは、特にない。
ただ、ふと思い出しては、折に触れて聴きたくなる。

それが、私には少し不思議で、少し嬉しい。
人生のどこかで、未来を先取りしてしまった言葉は、忘れたころに戻ってきて、「いまの私」に問いかける。
いま、私はどんな光を入れたい?
何を夜明けにしたい?

みずがめ座の時代が、いつからかを断言できなくてもいい。
この歌が夜明けを歌ったこと、そして私が何十年経ってもその歌に呼ばれること。
それだけで、もう十分に、時代は少しずつ動いている気がする。

もしかしたら、夜明けとはそういうものなのかもしれない。
空気がほんの少し変わったと気づくその瞬間だけが、確かに手元に残る感じだ。

そして私はまた、いつものように空を見上げる。
光を探すためではなく、
光を迎え入れる余白を、胸のどこかに作るために。

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