グリーフを超えて生きなおすこと

生と死
グリーフを超えて生きなおす|大切な人を失ったあとに訪れる心の変化

「在る」とは、見えている姿ではない。
「無い」もまた、見えていないことではない。
世界の実存は、世界の中にはない。
—— ルーミー

ブログに久しぶりに戻ってきて、去年から続いている私の大きな変化について、そろそろ記録しておこうと思い、こうして打ち始めている。
こういうことを書けていること自体が、すでに癒しのプロセスの一部なのだと思う。だから今この時点で、正直に感じていることを、そのまま綴ってみる。

2014年は、巨大な変化の年だった。
夫の仕事に関わる強いストレスからくる体調不良。繊細すぎる娘の体調悪化への不安。8年間暮らした大好きなチェンマイを離れることになった寂しさ。仕事での信頼関係の崩壊。目標実現の可能性が突然消え去る体験……。
もう箇条書きにしてリストアップしたくなるほど、次から次へと心が砕けるような出来事が続いた一年だった。
(もっとも、そんなことにフォーカスしても意味がないので、しないけれど)

けれど、何よりも苦しかったのは喪失だった。
1月に、姉のように慕っていたチェンマイの親友が亡くなり、4月には長く同居していた義母が旅立ち、そして8月、28年間連れ添った夫が急逝した。年末には23歳の老猫が旅立った。

夫の死は、あまりにも突然だった。
しかもそのタイミングが、待ちに待った孫が誕生した三日後、中国への引っ越し当日、そして私の誕生日の前日だった。

さらに言えば、夫がこの世を旅立ったその日、私の実の父も肺炎を悪化させ、危篤状態に陥っていたことが後にわかった。父はその後二週間も意識を取り戻さなかった。
2014年という年は、本当に凄まじい年だった。

グリーフ――喪失による深い悲しみ――とは、単なる「悲しさ」ではなかった。
怒り、寂しさ、不安、思慕、罪悪感、そして確かに存在する愛。
それらすべてが混ざり合った、ひとつの巨大な感情体だった。

感情そのものに命があるかのように、形を変えながら現れ、ときには別の感情を飲み込み、増殖していく。
あまりにもカオスで、理解もできず、折り合いもつけられず、ただ翻弄されるばかり。
息をしているだけで精一杯な瞬間もあった。
なぜ自分が生きているのか、まったくわからなくなることさえあった。

この体験を経て、
「時間が解決してくれる」
「明けない夜はない」
そんな言葉を、もう軽々しく誰かに向けることはできないと思った。

たとえ命の永遠性を信じている人間であっても、この虚無の暗闇の中では、受け取れる言葉はほとんど存在しない。
励ましが嬉しくないわけではない。
けれど、本当に心に染みたのは、言葉よりも、悲しみに寄り添ってくれる「在り方」だった。

魂ごと吐き出してしまいそうなほどの寂寥感に圧倒されるとき、その最深部に、確かに暖かみが存在していることに、ふと気づく瞬間がある。
この一年の混沌とした体験を通して、その底に流れている大いなるもの、根源的な流れを、ようやく実感として感じ始めている気がしている。

そういえば昔、アメリカから引っ越すことが決まった頃、
「変化することは、新しく生まれなおすこと」
「変化があるからこそ美しく、命は引き継がれる」
そんなことを、確かこのブログのどこかに書いたはずだ。

実際、夫は消滅したわけではない。
存在の状態が変わっただけだ。
私が今直面しているグリーフとは、この大きな変化への対応なのだと思う。

人は大きな変化の前で、つい抵抗してしまう。
今までの状態を保ちたいと願う。
変化は、精神的にも物理的にも、あまりにも負荷が大きいから。

けれど人生は、変化の連続だ。
時には今回のように、容赦なく、強烈な勢いで形を変える。
それが宇宙の流れであり、「生きている」ということ、そのものなのだと思う。

すべてがエネルギーであるこの宇宙では、失われるものは何もない。
旅立った愛する人たちも、ペットたちも、ただ物質的な要素を脱ぎ捨てただけで、宇宙の一部として在り続けている。
そのことをふと実感できる瞬間、風や光や月や花や木――
目に入るすべてが、たまらなく愛おしくなる。

それでも、心にはまだ大きな穴が空いている。
そこは静かに、しかし確かに痛む。
瞑想や自然の中で、愛と光で満たそうとしても、この穴は一生完全には埋まらないのかもしれない。

けれど、それでいいとも思っている。
狂おしいほど切ないけれど、そこは大好きな人たちが確かに存在していた場所だから。
大切に、寄り添って生きていきたい。

どん底の中で知った、根源的な暖かさ。
それは、この穴の奥からじわじわと立ち上ってきている気がする。
それは、故人たちの愛そのものなのかもしれない。
だとしたら、私の深い傷を癒すのは、彼らの愛なのだろう。

肉体を持って生きる人間として避けられない苦しみを味わいながらも、私は自分の内奥に宿る純粋な真我を知っている。
だから大丈夫だ。
私のベクトルは、いつだって至福を向いている。

夫が旅立つ二日前(病院で認定された死亡時刻では三日前)に生まれた長男の子ども。
その存在に、私は命の永続性と、尊さと、深い悦びを感じている。
こうして命は、次の世代へと引き継がれていく。

夫は初孫である赤ちゃんと会うのを、本当に楽しみにしていた。
誕生の知らせを聞いた日は、ウロウロして落ち着かず、一日中笑顔だった。
名前もたいそう気に入っていて、何度も大きな声で部屋を行ったり来たりしながらフルネームを口にしていた。

あの子が、「自分の誕生を心から喜んでいたおじいちゃん」を知らずに育つのかと思うと、涙が出る。
でも、少し大きくなったら、話してあげようと思う。
きっと父親である長男も、そうしてくれるだろう。

いつか、夫のドラマチックな人生をまとめたい。
百科事典のような頭脳の持ち主だったけれど、ちっともお金にはならなかったわ(笑)。

2009年7月
ラオス・ルアンプラバーンからメコン川を旅したときの夫。
夫と本は、いつもセットだった。

最後に、この場を借りてお礼を。
友人たちには、本当に、本当に救われた。

ずっと寄り添ってくれた友達。
仕事をすべて放り出して、警察、病院、役所、葬儀関係を走り回ってくれた友人たち。
ご飯を作りに来てくれた友人。
世界中から寄せられたカンパ。
FBに立ち上がった応援ページ。
支えてくれた瞑想の師と仲間たち。
ビザの援助を即座に申し出てくれた友人。
経済的なことを心配し、仕事を持ちかけてくれた人たち。
そして、ただ思いを寄せ、声をかけてくれた大勢の友人たち。

心から、心から、感謝しています。
この恩と、みんなの優しい心を、私は一生忘れません。

まとまりがなくて、ごめんなさい。

そうそう、最後にひとつ。
この前、夜ひとりで黙々と仕事をしていたら、何の操作もしていないのに、コンピューターの画面いっぱいに、夫の写真が突然立ち上がった。
それも、お葬式で使った写真。
なんだったんだろうね。
ちょっとしたメッセージだったのかな。

しばらく、その写真に向かって、いろいろ話しかけてみたよ。会いたいなあ。

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