先日、藍染めで知られる Phrae(プレー)へ出かけてきた。
目的のひとつは某グループのロケハン。でもそれと同じくらい楽しみにしていたのが、インディゴ復活大作戦。
長く使って少し疲れてしまったシーツや、色褪せたり、思いがけないシミを背負ってしまった服たち。
そんな「暮らしの中の愛着あるものたち」に、もう一度息を吹き込んであげたい!そんな願いを胸に工房の大きな染め桶を覗いた瞬間、藍の深い海のような色に心まで飲み込まれそうになった。
キングサイズのボックスシーツ、クイーンサイズのフラットシーツ、ワンピース3枚、パンツ1枚、プレイスマット4枚、そしてエコバッグまで。
藍は静かにすべてを受け入れ、染めあげ、纏わせ、再び私たちの前へ差し出してくれる。
いろいろな愛着のあるものが、次々と生まれ変わる。
ただの色ではなく、時間を包み直し、記憶さえやさしく磨き上げて返してくれるような、そんな不思議な力を感じていた。
そのあと、Phrae から Nan(ナーン)方向へと、山に向かうドライブへ。
道は穏やかな波のようにうねりながら続き、丘陵は遠く遠くまで連なり、どこまでも柔らかなリズムで地平線に溶けていく。
車の窓から流れ込む風には、乾いた土の香りと、まだ残っている緑の気配。
光は柔らかく、世界全体が薄いヴェールに包まれているみたいで、その静けさだけで胸が満たされていった。
そして突然、前方に白い粒子が舞い上がるような光景が現れた。
それは大量の蝶だった。
息を呑むほどの美しさ!
いくつもの羽が光を受けて瞬き、風に揺られながら空中に描く目に見えない軌跡は、まるで音楽のフレーズのよう。
目の前の世界が少しだけ現実から外れて、夢と現実の境界が淡くほどけていく。
その短い奇跡のような時間を、私はただ見届けていた。
けれど、よく見渡してみると、その美しい丘陵の大部分はトウモロコシ畑。
かつて森だった場所が伐採され、飼料用の大規模栽培が広がっている。
広大な景色は美しいままなのに、その背景にある現実を思うと胸の奥に小さな痛みが生まれる。
自然の豊かさと人の営みは、いつも同じ場所で交差しながら進んでいく。
旅はただ楽しいだけではなく、見たことのない問いや葛藤まで光に晒してくる――そんなことも、あらためて感じるドライブだった。
車の中では、なぜか「オーヴェルニュの歌」がずっと頭の中で流れていた。
あの歌は、田舎の風景の中で、遠く離れた男女が互いを呼び合うような、人の暮らしの体温を感じる歌。
丘の向こうから丘の向こうへと声が渡っていくように、人の想いもまた、この大地の上で何百年も行き交ってきたのだと思うと、胸の奥が少し温かく、そしてしんと静まるような感覚になる。
藍に染まった布たちも、丘陵を渡る風も、まるで蝶のように儚く舞う光景も――すべては自然のもののようでいて、その中にはいつも人の手と暮らしが重なっている。
喜びと切なさの狭間で揺れながらも、この大地のどこかで今も誰かが暮らし、愛し、歌い続けている。
そんな人間の営みの気配を感じながら、私は静かにその風景の一部になっていた気がした。



