数年前、心が本当にボロボロで、毎朝起きる度に自分に起きた現実を思い出し、まるで自分の輪郭が曖昧に消えていくような時期があった。立ち上がってもグラグラしてしまいぺたんと座り込んでしまう。そんなとき、ドイツに住む仲良しの友人がバンコクに来ていて、私は半分逃げるように会いに行った。 彼女と、当時バンコクに住んでいたもうひとりの友人。 どうでもいい話題もたくさん出る。「最近の太り方ってお腹ばっかり出ちゃうんだよね」とか、カフェラテを啜りながら。ふたりに会っただけで、「あ、私まだ生きてるな」と思えた。 心の底でひび割れていても、誰かの前ではちゃんと笑えたりするんだよね。
そのあとショッピングモールで、化粧品売り場をハシゴして、 あれこれ口紅を試しまくった。 人生どん底の人間とは思えないテンションで。 そしてなぜか最後に、真っ赤な口紅を買った。 こんな色、たぶんバブルのころ以来じゃない?なんて自分にツッコミを入れながら。 でもその赤が、妙にしっくりきた。
あとから思えばあれは、 「私はまたちゃんと立つよ」 という、静かな宣言だったのかもしれない。 私にとってあの赤い口紅は、小さな鎧。 といっても、重くて身動きが取れなくなる鎧じゃない。 姿勢をすっと整えてくれる透明で軽い鎧だ。 つけるたびに、心の真ん中に細い芯が一本戻ってくる感じがする。
しかもね、赤い口紅って、それひとつで 「ちゃんとした感」が爆上がりする。 実際にはほぼノーメイクでも、なぜか全体が整って見えるらしい。 口紅の威力、恐るべし。そして外に出ると、面白いくらい扱いが変わる。 お店でもレストランでも、なぜか急にマダム扱い。 「今日の私そんなに貫禄ある?」って心の中でツッコミながらも、 悪い気はしない。笑 あのとき買った一本の赤は、 メンタルを救ったわけじゃないけれど、 少なくとも「ここからまたいくよ」という合図をくれたんじゃないかな。
そんなふうに、色ひとつで風向きが変わることって、人生にはある。あの赤は今も、私の引き出しの中で静かに光っている。ときどき取り出しては、あの日と同じように唇に引く。そうするとやっぱり、細い芯が戻ってくる気がする。


