虐げられた人々

旅と思索
ムラブリ族の村

ドストエフスキーの話じゃありませんー。
タイのPhrae(プレー)の山奥、ムラブリ族の村を訪ねました。

「バナナの黄色い葉の精霊」と呼ばれていた彼らは、ほんの少し前まで森の中で暮らし、分かち合いの世界の中で静かに生きていた人たち。
けれど、文明は彼らの歩幅を待ってはくれなかった。
政府によって定住させられ、狩猟採集から農耕へ。
貨幣経済、労働、搾取。
それは、きっと彼ら自身が選びたかった未来ではない。

村にいると、胸の奥に何とも言えない感覚が湧いてきた。
「文明って、本当に「進歩」と呼んでいいものなんだろうか?」
便利さや効率の裏側で、誰かが突然押し流されるように変化に巻き込まれていくーー
これはきっと、この場所だけの話じゃない。

世界中の先住民族、マイノリティ。
似たような痛みが、この地球のあちこちで繰り返されている。
ガンジーは言った、「文明はマイノリティの扱いによって判断される」と。
この地球に本当の文明国なんて、果たして存在しているのだろうか?

そんなことを考えながら、頭の中ではずっと音楽が鳴っていた。
ムソルグスキー《展覧会の絵》の「ビドロ(牛車)」。

逃れられないような重たい低音。
怒り、嘆き、諦めーーその全部を抱えたまま進んでいく行進。
「虐げられた人々」という意味を持つこの音楽が、村の静けさの中に、不思議なくらい重なっていった。

もしかしたら私は、ムラブリ族の姿だけを見ていたわけじゃないのかもしれない。
文明の側に立つ私自身の場所や、それまで見ようとしていなかった影を、静かに突きつけられていたような気がする。

私は文化人類学者でもないし、全部わかったような顔はできない。
ほんの数時間の滞在。でも、そこには確かに受け取ってしまったものがあった。

文明は前へ、前へと進もうとする。
でも、その速度は誰のものなんだろう。
その影には、誰が立たされることになるんだろう。

ムラブリ族の人たちの顔を思い出すと、胸の奥に静かな痛みが残る。
そして、あの「ビドロ」の重たい音が、問いのように響き続けている。

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