チェンダオ

旅と思索

独り内観の時代に、境界線で自分の安産尻を笑う

「独り内観の時代」に入ったと感じている。それは物理的な孤立ではなく、誰かと手をつなぎ響き合いながらも、自分の感覚のハンドルだけは誰にも渡さないということ。チェンダオの喧騒を避け、辿り着いた国境の街で出会った「不揃いな質感」から、真の静寂を紐解く。
旅と思索

窓の向こうには、肝臓で読む叡智という別世界があった

リス族の村のお葬式で供された黒豚。その命が、死者を送るだけでなく、村の行方や精霊の意志を読む媒介でもあったと知ったとき、私は「見えない世界への窓」を実感した。
旅と思索

精霊の休憩所 〜 リス族の村で見えた、境界の話

リス族の村で道路脇に置かれた古いベンチに、旅人の私たちは何気なく腰を下ろした。けれどそこは「精霊の休憩所」だった。知らずに越えてしまった境界が、旅の記憶を別の層へと開いていった。
旅と思索

インディ・ジョーンズと私の山道ドライブ

急勾配の山道は、ひとりでは絶対に無理だと思っていた。でも友人たちと笑い、インディ・ジョーンズを大合唱しながら進んだら、怖かった坂はいつの間にか越えていた。動いたのは車だけじゃなく、私の内側の地図だった。
旅と思索

命を食べるという現実について

チェンダオ〜ウィエンヘーンの旅で胸に深く刻まれたのは、リス族の村のお葬式で供された黒豚の光景。命の痛みと、祈りと、そして「いただく」という行為の重さを、あらためて突きつけられた。
旅と思索

星が見えなかった夜、火が語っていたこと

星が美しいことで知られるチェンダオ北ウィエンヘーンの山へ。乾季にもかかわらず雨に見舞われ、星は見えなかった。それでも焚き火を囲み、香りと揺らめきに包まれた夜は、人の記憶に残る原初的な癒しを思い出させてくれた。