失われたと思っていた優しさ

記憶の風景

あの頃の私は、ただ世界の流れの中で、生きることに身を委ねていた。

がんばって何かを掴もうとしたわけでもなく、未来を想像していたわけでもない。
ただ、目の前にある世界の中で呼吸して、そこにある命のリズムに自然と溶け込んでいた。

ここからの文章は、ずっと前の私が残してくれていた言葉を、壊れたブログから拾い上げてきたもので、ブログポスト自体は2005年だが、元々は2003年にホームページに書いたもの。
退行催眠のセッションで蘇った子供の頃の記憶を綴ったもので、長い時間を漂って、いまの私の手元に辿り着いた 小さな瓶手紙 のような記憶だ。

――

実家の家の近所の工場跡の空き地。
今は広い公園になっているけど、その公園ができる、ずっと前。

シロツメクサがあちこちで大きな円をつくって満開に咲いている。
その真ん中に座って
あの香りに包まれながら花の冠を編む。
幸福感いっぱいで
ただ夢中で冠をつくっている。

シロツメクサの群生を「部屋」に見立てて、
妹と空想の家で遊ぶ。
石ころで廊下を作って
いくつもの群生をつなげていくと、
家はどんどん広がり
いつの間にか豪邸になる。

出来上がった「自分の部屋」に寝転んで、
空をゆく雲をじっと眺める。
トカゲや、
飛び交うバッタや、
虫たちの気配にも胸が躍る。

------------

東京下町実家の狭い部屋。
まだ目も開かない捨て猫たちに
夜中に起こされてミルクをあげている。

独特の鳴き声に目が覚めて、
眠い目をこすりながら哺乳瓶を温める。
熟睡を邪魔されるのはつらいはずなのに、
小さな体が一生懸命ミルクを飲む姿を見ると
胸がいっぱいになる。

おっぱいの匂い。
ミルクがついた小さな口元。
「猫って本当にかわいいな」
そう思いながら、
心が静かな愛でいっぱいに満たされていく。

――

子どもの頃の感情がよみがえり、あんなにも素直で、世界をまるごと信じていた自分が愛おしくて、涙が出そうになる。

今、2013年。そして思う。

あの頃の感覚は、「過去の一枚の風景」ではなく、いまも私の中で生き続けている何かだ、と。

私たちは大人になる途中で、強くなるための知恵や、傷つかないための工夫を身につけていく。
それは必要なことだけれど、その陰で、少し静かになってしまった優しさもある。

でも、思い出がふと息を吹き返す瞬間、私は知る。

失われたと思っていたものは、
実はずっと心の奥で灯りのように生きていたのだと。

もし今あなたが、少し疲れていたり、迷っていたり、自分を信じる力が弱くなっていると感じるなら・・・

どうか思い出してほしい。

あなたの中にもきっとある、世界と自然に呼吸していた頃の感覚。
ただ「好き」って感じるだけで満たされていた時間。
命を丸ごと愛おしんでいた心。

いまのあなたは、失ったものでできているのではなく、ずっと持ち続けてきた優しさでできている。

そのことを、どうか忘れないでいたい。
そして私もまた、かつての自分の温度といまの自分を抱きしめながら、これからを生きていきたいと思う。

(写真は、かつて私が遊んだ空き地のあった荒川河川敷の、いまの姿。同じ場所ではないけれど、あの記憶とどこかで繋がっている風景です。)

タイトルとURLをコピーしました