精霊の休憩所 〜 リス族の村で見えた、境界の話

旅と思索
リス族の精霊のベンチ

先週の小さな旅の記録を続けます。タイの山岳民族のシャーマニズムと精霊に興味がある方は、長いですが、ぜひお読みください。

チェンダオ北、ウィエンヘーン(Wiang Haeng)のリス族の村を散歩していたら、道路脇に古びた木の屋根付きのベンチがところどころに置かれていた。 旅先で見かける正体不明のオブジェはたいてい無害だし、散歩途中のベンチならばとりあえず座ってみるのが旅人の習性であるので、当然私たちも例外ではなかった。

しばらく歩いて足も疲れてきたタイミングで、とても景色のいいところにそのベンチは設置されていた。 「ちょうどいい場所にあるね!」と言いながら、全員で腰を下ろし、霧の切れ間をバックに記念写真や動画まで撮った。あのときは、まさか誰か(人間ではない誰か)が使う席だとは夢にも思っていなかった。

数日後、チェンマイに戻ったとき、タイ人の友人が何気なく言った。
「あれは精霊(ピー)の休む場所だよ。人は座らないんだ。」

その瞬間、旅の間に撮った楽しい動画が、脳内で静止画になった。 そしてあの満面の笑顔の集合写真。 知らなかったとはいえ、よりによって精霊の指定席で。

友人たちにメッセージを送ると、返ってきたのは息のあった返事よ。

「座っちゃったよね!?」

なんたって精霊に悪いし、その存在を静かに敬ってきた村の人々に対しても小さな侮辱になったのでは…と考えると、旅人の無自覚というのは時に恐ろしいものだなと思う。

そういえば座った瞬間、私の足がつった。 歩き疲れか冷えかと思ったけれど、今思うと「あれ、精霊の席なんだけど?」という、見えない世界からの小さなツッコミだったのかもしれない。

でも、あのベンチのまわりに漂っていた穏やかさを思うと、「まあ、今日だけは仕方ないよ」と精霊が折れてくれたようにも感じる。 それが都合のいい勝手な解釈だとしても、あの山の空気には、人を優しく包むような、やわらかい気配があった。 リス族の世界では、山、川、大木、家、道……どこにも精霊がいて、彼らは人と同じように移動し、疲れれば休むらしい。 たしかに、精霊がそこに座っていたって不思議じゃない。 あ〜〜〜私たちってなんて図々しいんだろう!笑

村には ナ・モー(またはモー・パー) と呼ばれる精霊と人のあいだを担当する人がいる。 役割を聞いていると、まさにシャーマンで、どこか「精霊カスタマーサポート」のようでもあり、同時に、魂の行き先を思い出させてくれる案内人でもある。 見えない世界との接続が弱くなると、村人たちは当然のようにナ・モーのもとへ向かう。

まるで「あれ、Wi-Fi落ちた?」と気づいて、カスタマーセンターに問い合わせするときみたいに。 ただ、その接続が扱うのはインターネットではなく、精霊と人の間に漂う見えない連絡路だというのが面白い。

そして、もっと驚いた話もある。 ナ・モーは時に、豚の肝臓を使って占いをするらしい。 肝臓の血の走り方を読んで、精霊の機嫌や、魂の行方、村の未来を判断するという。 彼らが受信していているのは、山と人のあいだで脈打つ霊の周波数だ。 ナ・モーはそれを肝臓の血流で読んだり、夢で受信したりする。 いわゆるチャネリングと言えばチャネリングだけど、方法はずっと土と血に近い。

そんな文化のある場所で、私たちは無邪気に精霊のベンチを占領し、嬉々として写真まで撮ってしまった。 けれどあのとき感じた穏やかさは、拒まれているものではなく、どこか見守られているものだった。 「まあ、今日だけ貸してあげるよ」と、精霊に肩を叩かれたような感覚さえある。

リス族の人々にとって精霊は、畏れと親しみが混ざり合った身内のような霊的な存在だという。 その距離感は、日本の山の神にも似ている。 遠いようで、妙に近い。

あの小さな出来事は、旅の風景の裏側に流れていたもうひとつの層を、静かに開いてくれたような気がする。 見える世界と見えない世界の境界は、思っているよりずっと薄い。 霧が一瞬ゆるむように、ふと開く瞬間があるものだ。 リス族のあのベンチは、その境界がふわりと透けた場所だった。

肝臓占いの話には、まだまだ物語が隠れている笑 ちょっと調べたらとても面白いので、また別の投稿として立ち上げてみようと思ってるよ。 たった1泊の旅だったけど、この扉の奥、まだまだ深そうだね!

関連記事

タイトルとURLをコピーしました