布一枚に溶け合う境界とリス族の村で浴びた光の洗礼

リス族の男性と赤ちゃん 旅と思索
リス族のイクメン:布一枚で溶け合う父子の光景

かつて私は、このブログでリス族のシャーマンや、豚の肝臓に未来を託す占いの話をしてきた。赤黒い臓器に刻まれた細い筋を読み解き、見えない運命の輪郭をなぞる・・・それは土の匂いがするような、深淵でどこか畏怖を覚える「影」の知恵だった。

けれど今回3度目の訪問で、私の心に深く刻まれたのは、もっとずっと身近で温かな、日だまりのような光景だ。

村に目をむければ、どこへ行っても男性たちが赤ちゃんを抱っこしたり、背負ったりしている姿に出会う。 特別な道具があるわけではない。ただのシンプルな布を器用に結び、スリングを作って、ごく自然に我が子を身体の一部のように預けているのだ。

どこまでがお父さんの背中で、どこからが赤ちゃんの体なのか。一枚の布に結ばれた二人の境界線は、見ていて心地よいほど曖昧に溶け合っている。

私たちを案内してくれた二十代半ばの青年もそうだった。ガイドとして逞しく私たちをサポートしてくれながら、その合間に彼はいつも当たり前のように赤ちゃんを抱き、背負っていた。

現代社会が定義する「イクメン」という言葉が、ここではひどく浮ついたものに聞こえる。そこにあるのは、役割としての育児や、母親の仕事を「手伝ってあげている」という分離した意識ではない。ただ、誰であろうと手の空いた者が、目の前の愛おしい命を守るという感じだ。とても自然な、生命の循環そのものがそこにあった。

別れ際、その若き父の胸にいた赤ちゃんの、柔らかな頬をツンツンしてバイバイをしたときだった。

見事なまでのくしゃみとともに、私は顔面いっぱいに大量の飛沫を浴びた。 一瞬の沈黙のあと、若いお父さんは声を上げて大笑いした。そして、鼻水を垂らした息子をこの上なく愛おしそうに眺めるのだ。

タイ語を習得しなかった私は、彼らとの間にいつも「言葉」という境界線を引いてしまっていた。けれど、あのお父さんの笑い声と温かな飛沫を浴びたとき、その線は跡形もなく消えていた。言葉が通じないからこそ、理屈抜きの人間同士の親密さが、飛沫(しぶき)を介して私の中へ飛び込んできた。

こうして「個」と「個」の境界が溶け合っていく光景を目の当たりにすると、私がこれまで追いかけてきた、あの神秘的な「影」の世界もまた、地続きにあるものだと気づかされる。

かつて私が目を向けたリス族の「神秘(影)」と、今回印象的だった「慈愛(光)」。 その境界線を辿っていくと、結局のところ、どちらも「命をいかに守り、繋いでいくか」という一つの祈りに辿り着く。

どんな深遠な神託よりも、あのお父さんの笑い声こそが、リス族の人々が繋いできた「生」の正体なのだと、今は勝手に確信している。

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