チェンダオ山上空にたなびく天の川を求めて、ここ数ヶ月で4度も足を運んだチェンマイのウィエンヘーンの山の中。今回の訪問では、運良くリス族の村で行われていたパーティーに立ち会うことができた。
Laowu Wiang Haeng Gate(ラオウ・ウィエンヘーン・ゲート)というこの地域の入り口を象徴する、大きな門がそびえ立つ場所で開催されていたこのお祭りは、ダムファ(Dam Phra)というらしい。単なるお祭りというより、一族の絆を確認し、新しい年の福を呼び込む神聖な儀式なのだ。
色鮮やかな伝統的な衣装を身にまとい、自分たちの文化を誇りに思いながら踊り、笑い、新年を祝う村の人々。そのエネルギーと温かさに、すっかり心を奪われてしまった。
リス族の踊りのステップは、単純なようで実はかなり難しい。音楽(かなり単純)の観点から観察してたのだが、メロディのリズムが1拍目を強調するのではなく、少し後ろに重心があったり、独特の跳ねるような感覚を持っている。踊りの動きも一見シンプルで、ぱっと見ると歩いているだけのようなのだが、よく観察すると一歩踏み出した後に膝を軽く曲げて「クッ」と沈み込む動きが入っている。この「溜め」のタイミングが、慣れないと必ずズレてしまうはずだ。
しかも今回のように周辺の村が一堂に会する規模になると、30人、50人と大きな輪ができる。近くにいるだけで地面を踏み鳴らす振動が足の裏から伝わってきて、これは自分一人のリズムではなく「全体のリズム」に同調していくものなのだ、と感じた。
夜が更けるにつれ、広場に響く音色もどこか呪術的な響きを帯びてくる。

気になって後で調べてみたのだが、この独特なリズムを刻んでいたのは「スーブー」というリス族伝統の三弦楽器だそうだ。メロディというよりは、拍の頭を外した跳ねるようなリズムを刻んでいて、それが踊り手のステップをリードしているように見える。

さらに、輪の中の男性が奏でていた、日本の「笙(しょう)」のような形をした楽器。これは「フル」と呼ばれる口風琴だという。私は得にこの音に魅了された。シンプルなドローン(持続低音)による多声音楽!そこから漏れる和音の重なりは、素朴でありながらも荘厳に祭りの雰囲気に溶け込んでいった。
このスーブーの鼓動とフルのドローン的残響が重なり、踊りは次第にチャンティング(詠唱)を伴うものへと変わっていった。単なるパーティーではなく、民族の魂が混ざり合う神聖な儀式に近いものを感じる。
あまりにじっと眺めていたからか、後ろからおじいさんに「ほら、あんたも混ざって踊ってきなさい!」と何度もどつかれた(笑)。でも輪に入るのをためらってしまった。延々と同じ踊りが繰り返され、曲が止まるまであるいは誰かが力尽きるまで続くエンドレス・ループ。どのタイミングで抜けていいのかわからないし、何より彼らにとってあの輪は「家族やコミュニティの絆」そのものだ。そこに通りすがりのよそ者が入っていいのだろうか、と。
そんな私のためらいとはまったく関係なく、一緒に行った友人は嬉しそうに延々と回っていた(ステップのリズムはズレていたけれどw)。彼女はリス族のパッションに完全にシンクロしてしまったらしい。その素直な適応力が、少し羨ましかった。おじいさんが声をかけてくれたのも、外国人をも歓迎するホスピタリティだったのかもしれない。
素晴らしい自然だけでなく、そこに根付く人々の暮らし。あのエリアが本当に好きだと、しみじみ思った。私の星空宿のホストには「ここの自然体験だけではなく、リス族の家庭を訪ねて、一緒にご飯を食べるようなアクティビティ体験があれば最高だね」と、思わず提案してしまったほどに。
チェンダオの北、ウィエンヘーンでの体験やリス族の村訪記録を以下にまとめた。
- 星が見えなかった夜、火が語っていたこと:ウィエンヘーンの山、乾季にもかかわらず雨に見舞われ、星は見えなかった。それでも焚き火を囲み、香りと揺らめきに包まれた夜は、人の記憶に残る原初的な癒しを思い出させてくれた。
- 命を食べるという現実について:リス族の村のお葬式で供された黒豚の光景。命の痛みと、祈りと、そして「いただく」という行為の重さについて。
- インディ・ジョーンズと私の山道ドライブ:ウィエンヘーンへの急勾配の山道は、ひとりでは絶対に無理だと思っていた。でも友人たちと笑い大合唱しながら進んだら、怖かった坂はいつの間にか越えていた。動いたのは車だけじゃなく、私の内側の地図だった。
- 精霊の休憩所 〜 リス族の村で見えた、境界の話:リス族の村で道路脇に置かれた古いベンチに、何気なく腰を下ろしたのは「精霊の休憩所」だった。知らずに越えてしまった境界が、旅の記憶を別の層へと開いていった。
- 窓の向こうには、肝臓で読む叡智という別世界があった:リス族の村のお葬式で供された黒豚。その命が、死者を送るだけでなく、村の行方や精霊の意志を読む媒介でもあったと知ったとき、私は「見えない世界への窓」を実感した。
- 独り内観の時代に、境界線で自分の安産尻を笑う:チェンダオの喧騒を避け、辿り着いたウィエンヘーンの国境の街で出会った「不揃いな質感」から、真の静寂を紐解く。
- 布一枚で繋がるリス族の父と子 『イクメン』という言葉が消える場所:リス族の村で目にする赤ちゃんを背負う男たち。言葉の壁という境界線を越えて、赤ちゃんのくしゃみの飛沫とともに飛び込んできたのは、どんな神秘的な占いよりも雄弁な、生の輝きと慈愛に満ちた笑い声だった。
- リス族〜伝統が息づく色鮮やかな鼓動:ウィエンヘーンで遭遇したリス族の新年。色鮮やかな衣装を纏い、地面を叩く独特のステップ。単なる祭りを超えた、民族の魂が混ざり合う神聖な一夜の記録。


