人生の後半に残る友情と夫の思い出

記憶の風景
人生の後半に残る友情|夫の思い出とメーリムで続く縁

夫のインターナショナルスクール時代の元同僚のお宅に遊びに行った。
タイ人の奥さまと、フランス人のご主人。
メーリムの我が家からすぐ近くに住む、昔からのご近所さんだ(^^)

夫がいた頃は、インターの他の先生たちも含めて、よく集まってご飯を食べた。
集まる場所はたいてい彼らの家だった。
まるで小さな博物館のように整えられた豪邸で、アンティークとアート、素晴らしい音響システムから流れるクラシックの名演、そしてワインの香りが、いつもやわらかく混じり合っていた。

フランス人の旦那さんは筋金入りの日本通で、そして本気のグルメ。
だから私が料理を持参したり、うちにお招きしたりするときは、毎回ちょっと緊張する。
見えない料理審査員が背後で腕組みしてジッと見ている気がして(笑)、味見の段階ですでに、ひとり勝手に脳内審査会が始まる(笑)

当時、食卓では男同士の白熱した議論が必ず始まった。
ワインが進むほど声は大きくなり、しまいには唾が飛んでくるほど。
政治、哲学、時には歴史まで飛び火する盛り上がりで、私はその熱気を横で見守りながら、彼の奥さんと目を合わせて「また始まったね(笑)」と苦笑するのがいつものパターンだった。
そうなると夜が更けてもなかなか帰らず、半ば夫の首を引っ張って帰宅することもあった。(笑)

夫が他界してから、あの賑やかな空気ごと、全部遠くへ行ってしまったように感じた時期があった。
でも、彼らは変わらず声をかけてくれた。
さらっと自然に、「一緒にご飯しない?」と。
あの頃のままの距離感で。

私たちが暮らした家はすぐ近くなのに、相変わらず少し胸が痛くて、家の前まで行く勇気は出なかった。
11年経つのに、まだ時間が必要なのか?と、自分でもちょっとびっくりする。

その代わりに、道中の風景に向かって、夫が助手席にいるかのように心の中で話しかけていた。

「こんなところにセブンができるんだ、便利になるね」
「ほら、あの店なくなっちゃったみたいだよ」
「この店の女の子、まだいるかな?」

何度も通ったあの道は、今も変わらず、あの日常の時間を鮮やかに蘇らせてくれる。

家族でもなく、長い歴史を共にした友人でもない。
それでも、変わらずそばにいてくれるあの夫婦。
そのささやかな事実が、今の私には驚くほど大きく感じられる。

ここ数年、人生には残る縁と、離れていく縁があることを身にしみて感じてきたけれど、昨日はそれを温かく受けとめる日にもなった。

彼らの家のテラスでワインを飲みながら星空を眺め、乾季のメーリムの夜風に触れながら、「ああ、ちゃんと残ってくれていたんだな」と、目の前のキャンドルの優しい灯火のように、胸の奥で小さな灯りが暖かくともるのを感じた。

人生の後半で手のひらに残るこういう友情は、派手さはないけれど、じんわりと輝く宝物みたいだと思う。
ありがたいなあ。

Fauré ・ Clair de lune(月の光)

この文章の終わりに、Fauré の Clair de lune(月の光) を添えた。
そこにあるのは「泣かせる音楽」ではなく、静けさの品。
夫がいた頃の場面も、いま残っている友情も、同じ一枚の月明かりの下で並んでいく。
記憶は遠いのに、体温だけはまだ近い——そんな感覚を支えてくれる曲。

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